(巻十六)稲妻や笑ふ女にただ土下座(正津勉)

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11月5日日曜日

染井霊園のそばにある、当世風の永代預りの将来無縁墓地に義母のお骨をお預けいたしました。いずれ私たち夫婦も無縁仏になるので、「ここにしましょうか?」などと申しながらお坊さんの後に続いた。

棄てるとも棄られるともみづからをいるる無縁墓地人は購ふ(宮原勉)

手順に従い申し上げますと、
先ず誠に質実な寺の事務所の待合室で、寺男の方がお骨をこの墓地の納骨堂に入れる喉仏と大分県の方に納骨していただく他のお骨とに分けてくださいます。(写真は待合室の御菓子)
ついで、事務所からこれまた質実なお堂へ移り、四十九日の法要と云うことになります。
お堂と云っても普通の建物のようで詰めて座っても二十人くらいがやっとのお堂でございます。
お経をあげていただきましたが、地味で質素で手狭なお寺のようなところでのお経は、聴いてなんとなく有り難いと感じるものでございました。
30分ぼどの読経と10分ほどの法話をうかがいましたあと、納骨堂に参り、お経をあげていたたくなか、納骨を終わりました。
もちろん、当節の核家族化や孤独死や寺離れをうまく呼び込んだやり方であることには違いないのでしょうが、「檀家制度ではございません。」と表明しているところがよろしい!ある本願寺系列のところに下見に行ったことがございましたが「お寺との縁を結んでいただく」、とか「縁が保てなくなれば(違約金を払って契約解除)」とかお寺そのものが末法で実に嫌なところでございました。

月仰ぐ俗の俗なるお寺かな(長谷川櫂)

ですから、この当世荒れ寺風のお寺の世の中の求めに応じての宗教活動を有り難く感じたところでございました。

帰路、染井霊園に沿って歩いてまいりましたが、芥川龍之介谷崎潤一郎のお墓の案内が出ておりました。いずれお詣りに参りたいと存じます。