(巻十九)口紅の色替へし妻年の暮(茨木和生)

イメージ 1


7月10日火曜日

帰途、5時頃御徒町駅を通過したがホーム上に蜂がいるので御注意くださいとの車内放送がございました。

吹かれ来し野分の蜂にさされたり(星野立子)

を先ず思い出したが、

蜂の巣を見つけ小声となりにけり(高倉和子)

も好きな句です。

高倉和子さんの句をもう一句書き留めておりまして、

くらがりを好みていたり花疲れ

も、いいなあと思っております。


(追記)
蜂と申せば志賀直哉の”城の崎”ですねぇ。コチコチしてありましたのでどうぞ。



昼休みのコチコチで、

「私の嫌いな10の人びと(解説) - 麻木久仁子新潮文庫私の嫌いな10の人びと(中島義道著) から

を打ち終わりました。なかなか読ませる“解説”と言うか“開き直った読後感”です。
開き直おりですから、まずは以下の文章のように適切な開き直りの手続きを踏んでおります。そうしておいて、マスメディアの特にテレビの置かれた現状とそのなかで自分はもがいていると訴え、その上で生きてくためにゃ“10の人びと”なるしかないのよ!と開き直った読後感的解説であります。
今まで読んだ文庫解説の中では読みごたえねある“作品”です。

秋灯むかしと違ふ読後感(時田しげみ)

以下抜粋

二日間ほど読みふけって、ようやくわかってきた。私は私自身に「ザワザワ」していたのだった。人に理解され、同意され、共感され、あわよくば賞賛される自分でありたい。「マジョリティー」の側に身を置いておきたい。思えば物心ついたころからずうっと、そう熱望してきた。と同時に、個性的でありたい、人と違う自分でありたい、「マイノリティー」の側に毅然として身を置く自分でありたいと、これまた熱望している私もまた存在する。そしてそんな「とらわれない私」こそが、理解され、共感され、あわようくば賞賛されないかしら、と。ようするに欲深いのである。