(巻二十)仰ぎたる花火と別にある心(抜井諒一)

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11月10日土曜日

息子の奨学金がいよいよ返済に入るらしい。そもそも学費は親がかりで食住親がかりで、非常勤とは言え二百万以上稼いで小遣い(文献購入及び海外を含む調査費用との主張であるが)にしているのだからそもそも奨学金は要らないと思うのであるが、無利子のを借りられるというので結局三年間で三百万円弱を借りたわけだ。奨学金には手を付けるないとの約束で連帯になったが首筋が涼しい。おまけに義妹の旦那に保証人になっていただいている。新聞は読んでいるだろうから義弟もイライラはしているだろう。
今日は食卓で細君とともに一括返済にして早く完済証明を持って来いと言い渡したが、果たしてどうなるやらであります。

麦を踏む父子嘆きを異にせり(加藤秋頓)

今日は陽気がよろしく外へ出掛けた。
先ずは図書館でNYTの記事を拾った。うまくA3のコピーに収まらない記事もあり、一つの記事に30円も使うことがあるがそれでも買えば210円だから、歩留まりは遥かによろしい。写真は図書館の花壇です。

図書館を出て“ときわ”に向かった。今日はN氏の通夜で御座いますが既に記した理由により不義理させて戴くことにいたしましました。N氏のことを思い出しながら独り酌むことにいたました。
N氏はOB会の訃報によれば去る6日に逝去されたようでございます。享年は附記されておりませんでしたが入関が1年あとでしたから六十五才か四歳だと思います。今日の高齢化を鑑みれば早世でございます。
N氏とは1973年ころ羽田空港勤務のころ知遇を頂きました。十二人で構成される取締班の係員として二十歳前後の1年間ほど同じ釜の飯を食った間柄でございます。
N氏は優秀な方でしたのでその後霞か関に勤務され、管区機関の部長職にまで昇り退官されました。
新米当時の付き合いは取締班当時の指導官であったS氏の後援もあり、現在まで続いております。
最後にN氏にお目にかかったのは2年ほど前の新年会かと思います。
その頃には既に体調を崩されていたようで、再就職先も辞し御自宅で静養中とうかがっておりました。
「どれだけ生きられる分かりませんから、老齢加算分は貰ってますよ。」
との言葉が耳に残っております。
その後、入院・手術・リハビリとのことはうかがっておりました。
御冥福をお祈りいたします。

あきくさをごつたにつかね供へけり(久保田万太郎)

今日のコチコチ読書、

「総支配人 定保英弥 - 村松友視」文春文庫 帝国ホテルの不思議 から

Marine technology of the future (The Economist November 3rd 2018) 船舶海運の環境対策と未来技術

を継続読書しています。