(巻二十一)端居して遠きところに心置く(後藤夜半)

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3月25日月曜日

五連休の最後の一日である。基本四連休の身分だが五連休は長いなあ。
でも、まだ家に居てぐだぐだしていてえ!

今日は酒を呑みたくない気分であったので駅前のプロントに入り午後のアメリカンと致した。
酒を飲むとつまみを食い夕飯のときに苦労する。腹がすいていれば、喉を通せる。その喉を通すときに真鯛の小骨をのみ込んでしまい痛い目に遭った。幸い小骨でしたのでなんとか吐き出せて事なきを得ましたが、どこにリスクが潜んでいるのか気を付けなくては。

のどけしや喉に小骨が一大事(潤)

さくら通りの桜はかなり開いてきた。団地の中を歩いていて引っ越しに二つ出合った。賃貸だから尚更のことだろう。

かかる代に生まれた上に桜かな(西尾文虎)

the地方都市に事前滞在中のが一時帰宅するという。そのに義妹がお祝いを持ってきてくれるらしい。お忙しいお二人をマッチングさせようとは気疲れしているが、は明日はお仕事です。
あんまり出掛けたくないね。も独立してくれたし、もういいだろ?家事はしっかり手伝うから。

春の夜の夢なり金庫一個分(高野ムツオ)


「「思われる」と「考える」 - 外山滋比古」 ちくま文庫 思考の整理学 から

をコチコチ読書いたしました。

“ 日本へ来たばかりのアメリカ人から、日本人は二言目にはI think......というが、そんなに思索的なのか、と質問されて、面くらったことがある。日本のレトリックがよくわかっていないのでびっくりしたのだろう。”

で始まるエッセイです。I thinkと始めることはあまりないが、presumeやassumeはよく使う
。それが正しい使い方どうか分かりません。
外山先生は「思われる」はIt seems to beが宜しかろうと書いておられた。