「ぼくはホシだった - 久世光彦(演出家)」03年版ベスト・エッセイ集 から

 

「ぼくはホシだった - 久世光彦(演出家)」03年版ベスト・エッセイ集 から

〈ぼくはホシだった〉というと、サン・デグジュペリの有名な童話や、川上弘美さんのこころ優しい短篇を想う人もあろうが、実はそうではない。もう二十何年も昔になるが、寒い冬のある日、ぼくは一日〈ホシ〉と呼ばれて過ごしたことがある。
〈ホシ〉はテレビの刑事ドラマによく出てくる〈犯人[ホシ]〉で、つまりぼくは犯罪の容疑者として、警視庁の本庁で丸一日、取調べを受けたのだ。もちろんいけないことなのだが、事件としてはつまらない小博奕[こばくち]だったし、ネタはしっかり上がっている上に、こっちはハナから恐れ入っているのだから、そんなに手間はかからないだろうと高を括っていたら、とんでもない話で、東洋のスコットランド・ヤードと言われるだけあって、取り調べは入念を極め、そのころ新しく建った桜田門の庁舎に出頭したのが午前九時で、疲れ切った頭[こうべ]を垂れて出てきたら、夜の街に小雪が降っていた。
担当の刑事さんに付き添われて、確か八階にあった取調べ室に入る。入って右側に受付があって、制服の警官が二人、鍵束を持って立っている。ぼくの担当刑事は、大杉漣[れん]みたいな風貌だったが、この二人は誰と例えようのない個性のない顔である。大杉漣がぼくを顎でしゃくりながら叫んだ台詞[せりふ]を聞いて、ぼくは卒倒しそうになった。彼は受付の警官たちに、ぼくのことを「ホシです!」と言ったのである。
後にも先にも、〈ホシ〉と呼ばれたのはこの日だけである。ぼくは、この話を老母にだけはすまいと、そのとき思った。ぼくより気の小さい母は本当に気を失うに違いない。-〈ホシ〉と呼ばれる度にドキドキしながら、どうしてそんなに時間がかかったかというと、理由は二つある。まずは、ぼくたちがお咎[とが]めを受けたポーカー賭博のルールが、ちょっと複雑で、なかなか大杉漣に理解してもらえないのだ。ぼくたちがやったのは、西洋伝来のスタッド・ポーカーと、日本古来の〈一、二、三〉と俗に言われる二つのゲームをミックスしたもので、なるほどここで説明しようとしても、ちょっとややこしい。だが、外国の小説にもちゃんと登場している古典的なゲームである。ジョン・コリアというイギリスの作家の「ああ大学」という短篇がそれで、日本では昭和三十六年に早川書房から出た、〈異色作家短篇集〉に入っている。亡くなった伊丹十三さんも褒めていた面白い小説である。
大杉漣は、ポケットから〈日本賭博必携〉という取調べ用のアンチョコを取り出して、こっそりページを捲[めく]るが、ぼくたちの〈ハイ・アンド・ロー〉というゲームは載っていないらしい。とうとう彼は、席を立ってカードを持ってきた。実際にカードを配って、実戦的にやってみようというのだ。二人ではできない、最低四人は要ると言うと、受付の警官まで呼んできた。それから何時間、ぼくたちはポーカー賭博をやっただろう。後にも先にも、制服警官と博奕をしたのはこのときだけである。-大杉漣はあきらめた。ルールは省略して〈俗称ハイ・アンド・ロー〉ということで、調書を作ることになった。小型の〈明解国語辞典〉を手にした、中尾彬[あきら]によく似た刑事が入ってきた。大杉漣が口述する調書を、中尾彬が筆記するのである。大杉は腕を組んで瞑目し、「※※以下七人は、去る十二月十七日夜七時ごろより、都内※※ホテルに参集し……」-そこで中尾が「ちょっと待ってください」と、上司を制して辞書で〈サンシュウ〉という字を調べる。「胴元の※※を中心に、一同は車座になって……」「ちょっと待ってください」-こんどは〈車座〉を引いている。とうとうぼくは辛抱できなくなり、中尾さんの横に侍[はべ]って、メモ用紙に大杉さんの発音する漢字を、一つ一つ楷書で書いてあげた。大杉さんもなかなかの人物で、腕を組んだままそれを黙認している。四時間かかってめでたく調書は完成し、翌日ぼくは検察庁へ出向いて罰金を払った。-冬になると大杉さんと、中尾さんを思い出す。お二人ともちゃんと出世しているだろうか。
ぼくはホシだった。-仮処分で罰金を払って、ぼくに前科がついているかどうかは、怖いから調べていない。橘外男[たちばなそとお]みたいに「私は前科者である」と名乗るほどのことでもない。ただ、「ホシです!」と呼ばれたときの驚愕だけは、この歳になったいまでも、忘れない。