(巻十)帝釈天参道に買ふ草の餅(中山喜代)

3月29日火曜日

柴又は育った街である。帝釈天で産湯は浸かっていないが、満男と同じルンビニー幼稚園に通った。

寅さんが冬の「季語」とは知らなんだ薄着の似合う涼しい男が(石島勝正)

今日の句では“草の餠”と詠んでいます。草餅であることに間違えはありませんが、柴又では“草だんご”と呼ばれています。

東京の少し田舎の草の餠(岸本尚毅)

この句も“草の餠”でした。

教わった中学の江森(実名)という怖い社会科教師によれば、柴又は“シママタ”として奈良時代の文書に出てくるという。因みに隣の小岩は“コウワ”として、亀有は“カメムラ”として出ているとのことでした。


社会人になった昭和四十年代後半は草野球が大変盛んで帝釈天裏の江戸川河川敷のグラウンドで葛飾区野球連盟第三部の試合をいたしました。荒川の河川敷でやるより矢切の渡しからの通りすがりの観客がいる江戸川河川敷の方が嬉しかったなあ!

菜の花や渡しに近き草野球(三好達治)

(彼が亡くなったという気がいたしません。金曜日までいっしょに昼飯を買いに行っていたのに。)