(巻十一)目隠しの中も眼つむる西瓜割り(中原道夫)

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6月14日火曜日

3ヶ月に一回のエックス線撮影で千葉西総合病院に参りました。小便小僧のご利益を賜りたいところでございます。
今日はエックス線撮影の並びがいつもより短いように感じます。そして目の前をこれから手術に向かう入れ歯を外した老人たちを載せたベッドが通っていきます。
病院に来ると歩けること、ましてや日々通勤してお給料まで戴けていることが本当にありがたいことだと感じます。

エックス線から診察までに時間がありましたので院内のコンビニで雑誌SPAの“四十代老害論”と“生涯未婚”を流し読みいたしました。
四十代論では結構余裕のある会社の話をしていると思いました。いまだに課長だ出世競争だというやや古い体質を持っている会社でないと誌上で例示されているような老害行為はできないでしょう。

懐にボーナスありて談笑す(日野草城)

そもそも出世競争と言うかサバイバルゲームに破れたらイビり出されてしまうという厳しい現実をこの歳になって知りました。

四十のその先見えず青葉闇(中岡毅雄)

SPAは辛口で貧乏人を扱う雑誌ですから、読者は貧乏人よりやや上の“中の下”あたりでしょうか?結婚がなかなか出来ないクラスでしょうから、慰めになる記事ですね。

木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くあるかな(前田夕暮)

どうも、今の世の中何かを固定化するのはリスクを伴うようです。結婚と言う形態で人間関係を固定化したり、更に子供を持つことでの人生の硬直化をためらうのは解ります。資産についても不動産など買ってしまうと資産が固定化されるし、ローンを組んでいれば負債に拘束され、移動の自由も制限されてしまうことになるのでしょう。

城持つがゆえに貧しき虫時雨(成瀬正俊)

固定の反対は流動と言うことになるのでしょうが、流動のデメリットが固定のデメリットと対峙する形で示されない現状ではこの流れは続くのではないでしょうか。

物なくて軽き袂や更衣(高浜虚子)

検査結果は異常なしでしたが、3ヶ月刻みでハラハラして生きて行くわけです。

寒月やさて行く末の丁と半(小沢昭一)


細君にメールで状況報告したところ、普段は聞くことのない優しい声で“早く帰ってゆっくりしなさい。”と電話がありました。35年を経たパートナーの有難いところです。安定性の、敢えて探せば、よいところかもしれません。



まったく話は変わりますが、文化放送で埼玉vs広島の試合を東尾の解説で聴きました。
アナウンサーの表現ぶりにいちいちケチをつける解説は実に不愉快でございます。火曜日が東尾のようなので火曜日は文化放送を外して聴くことにします。

サングラス目線の合わぬ会話して(スカーレット)

呼吸を合わせて漫才をしてくださいとは言いませんよ。だけど上手く会話を転がしてくださいよ。当然の如くの上から目線で潰しまくるのは実に聞き苦しい。

一例:
アナウンサー:ホームランかと思われるレフトポール際への大きなファールでした。
東尾:バッターがファールかどうか(感覚として)一番わかっているから、バッターを見ていればそんなオーバーなことは言わなくて済むよ。

確かにそうかもしれませんが、言い方があるでしょう。
他のリポーターから、「でも、スタンドからは大きなため息がもれましたよ。」とフォローが入っていました。
東尾はそのときバッターを見ているのかもしれませんが、観客も聴取者もそしてアナウンサーも打球を追うのです。そしてラジオ放送は、その特長と限界の中で、打球の行方を臨場感を持って伝えて欲しいのです。絶叫の必要はありませんが、ドキドキするくらいのところで聴いていたいのですよ。

鳶見えて冬あたたかやガラス窓(正岡子規)