(巻十五)目を閉ぢて明日刈る稲の声を聞く(西やすのり)

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7月13日木曜日

昨日、7月12日水曜日の続き。

日比谷からメトロ千代田線で大手町に戻り、そこでメトロ東西線に乗り換えた。球場のある西葛西は大手町から7つ目の駅で荒川放水路の長い鉄橋渡って一つ目である。
西葛西に着いたのが12時ちょっと前で、季節外れの牡蠣フライで腹ごしらえして球場に到着した。
入場料は800円で大変お行儀の良い女子高生が券を切ってくれた。ゲートにも、これまた大変お行儀の良い坊主頭の高校生がいて、母校は一塁側ですと案内してくれた。
何しろ高校野球は神事ですから巫女さんや禰宜さんと同じように振る舞わなければならないのですよ!
三塁側のゲートしか開けていないので、そこからスタンドに入ったが、バックネット裏はほぼ満席であった。野球場はホームベースが西でセンターが東に作られているので一塁側スタンドは南を背にするが、庇の下が応援団席なので直射は避けられる。三塁側も庇の下が応援団席であるが南からの日射しを遮る役目を果たさない。
両校共に明治中期に設立された歴史のある府立校であり母校の旧称は実科工業、対戦相手は府立三中である。戦後間もなく新制高校として母校は墨田工業高校となり対戦相手は両国高校となった。両校の学力差は高度成長期までは其ほど大きくは開いていなかったようだ。大正から戦前の頃は結構優秀な下町の子弟が実科工業に集まったと母校の恩師で卒業生でもあった山本義夫先生から嘆きともため息ともなく聞かされたものである。我輩が入学した昭和43年頃には工業高校は普通科高校に手の(頭の)届かない生徒の潜り込み先になってしまっていた。そんな学力低迷の中であっても往時の伝統は残っていて我輩が属した機械科二組は学年を通して白虎団と称して結構荒っぽい運動会をやっていた。因みに機械科1組は鳳凰団、電気1組玄武団、電気2組は麒麟団、建築科が青龍団であった。
昨今は工・商・農と云う職業系高校が統合、廃校、改名等で姿を消して行くが、校名が存続している。ありがたいことである。(近隣の本所工業、向島工業、江東工業、化学工業は消えて行った。)


さて試合であるが
、前の試合が熱戦であったようで、我輩が応援団席に着いたときにはまだ先攻の両国の守備ノックの最中であった。
ノックが終わり、グランド整備が行われ、線が引き直される。正に御祓である。

炎天やベース正しき野球場(亜うる)

試合開始である。読者諸氏で勝敗に興味がある方はおるまい。結果は8対1で8回ゴールドで偏差値が25負けている母校が勝利した。正直云って両国に勝てなかったら勝てる相手はいない!
草野球で遊んだ我輩が評論家的に物申せば、野球は走・攻・守と云うが、投が支配するゲームでもある。
肩を見るに、特に遊撃手の肩を見るに負けはないと踏んだ。
数がものを云うともおもわないが、母校墨田工業は野球部員が48名とあった。ベンチ入り出来ない部員はスタンドの応援席である。両国の応援席にユニフォームはいない。
これに勝てなかったら勝てる相手はないと云う相手にあまり良い勝つ方ではなかった。
投手は背番号11と20が投げたが、11はスタミナ、20は球速はあるが球が軽いようでいい打球も何本かあった。母校の打線はポップフライが多すぎる。内野守備については両国より遥かに由ではあるが、両国の投手の心中を察すれば多くを語るまい。

朱夏の陽の影の重たき投手かな(林桂)

それでもなんとか8回に8対1でコールド勝ちしたが、次で夏は終わりそうである。