(巻十六)酒となる間の手もちなさ寒さ哉(井上井月)

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9月17日日曜日

特に運動と云うものをしていないが、掃除が結構いい運動になる。
先ず、エアコンのカバーを外し網状の埃取りを抜き出て電気掃除機のブラシで付着した綿埃を吸い取る。
エアコンは二台あり夏場は週一回椅子に乗り背を伸ばしてこの掃除をする。
体力を使う掃除は風呂の床掃除である。油断していたら赤い黴が着いたらしく美しいピンク色のところが見つかった。洗剤を撒いて、柄のついたスポンジブラシの首のところを押さえて体重を載せてゴシゴシと黴取りをする。この10分ほどの掃除は土日の夕方の日課になった。
この他、3LDKの掃除機掛け、ウェットテッシュモップでの床掃除とカーペットなど繊維部分のゴミや髪の毛をコロコロで付け取る掃除なとを土日の午前に行う。掃除機などの掃除は、それ自体は身体を使う作業ではないが、テーブルなどの椅子を動かし、マットを動かしと障害物を動かし動かしの作業であるから身体を使う。
土日は30分くらいこれらの掃除に費やすが、体操だ!

変な話だが、持ち家のときよりよく掃除をしている。一つには掃除がしやすくなったためだろう。
終活の手始めとしての転居であったから、相当量の不要品を処分した。
掃除がしやすくなったもう一つの要素は二階建てから一階の平面になったことだろう。細い 階段や廊下がなく、そしてトイレが一つになったことなど、掃除しにくい場所が減ったことが掃除意欲を育んでいる。

しかし、健全な生活などしていると長生きするはめになるので、不健康なこともしておかなくてはと外に出た。行くあても無かったので、「吉楽」に入っておでんで二合呑んで煙草を4本吸っておいた。吉楽のテレビでは、この時間に、“何でも鑑定団”をやっていた。初めて見たが、大変御立派な教養番組であると感服した。関西系の“のり”よさと文化的な高尚さが上手く噛み合っていると感じた。

甚平やそろばん弾く骨董屋(大串若竹)

振り返ってみて、我輩の家宝となると写真の“面”である。東南アジア青年の船に管理部員として参加したときにインドネシアで縁あって頂いた面である。
幾度も引っ越して、その度に廃品にすることを考えたが、祟りを怖れて今も置いてある。掃除の折りに雑巾ではなくティッシュでお顔を拭っている。多分、我輩には多くの災厄が降りかかっていたのであろうが、このお面の神様が追い払ってくれたのだと今は少し信心している。お面の神様と我輩の差しの関係であるからエージェントに金を払う必要はない!