(巻十六)雨蛙めんどうくさき余生かな(永田耕衣)

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10月31日火曜日

芥川龍之介の「大川の水」をコチコチを終えて、井上弘美さんの「エレクトロニックカフェに行った」に取り掛かりました。時代が違いますし、作家の個性も違いますから、文体が違うのは尤もなことですが、随分と違います。
句読点が少ない。敢えて当時の新進女流才媛作家風のスタイルにしたのか、ハタマタ、エレクトロニックカフェと云う当時としては異界を材料にしたのでスタイルも多少珍奇にしたのか測りかねますが、注意深く読まないと不覚となります。それでもコチコチのスピードは井上弘美さんの文章の方が芥川さまの文章より速いようです。
何れ、両作品をご覧に入れたく存じます。

徹頭徹尾機嫌のいい犬さくらさう(井上弘美)

40年近く前に、当時大手町にありました東京国際郵便局の中の税関で一緒に働いた、塚ちゃんと熊ちゃんから12月1日金曜日に一杯のお誘いを頂きました。有り難いことでございます。世の中を拗ねて生きておりますので、なかなか呑みたいと思う方もおりません。面も見たくない奴が一割、どうでもいい奴が八割ぐらいでしょうか。御二方とは久しぶりに酌みたいと存じます。

稲妻や世をすねて住む竹の奥(永井荷風)

1980年ころの小口国際物流は、まだFedExやDHLが全面展開前で国際航空郵便小包が全盛でございました。そしてその当時は全てが人力で処理されていました。
毎朝、二階の税関事務室から五階の到着した航空郵便小包が山と積まれているフロアーにあがり、蟻の如く小包の山に挑むのです。
先ずは、一次選別を行います。それぞれの小包には万国郵便条約で定められた様式の税関告知書が貼られていて小包の内容物の品名と価格が記載されています。 この告知書に書かれている内容と差出人の名前・住所や受取人が個人か会社などを判断材料に、少額の贈答品など「免税扱い」として直ちに配達に回す小包、税金の賦課手続きが必要な「直課税扱い」になる小包、これは五階フロアーの一画に一時留め置きます。また、高額(十万円超えの法人宛)で受取人に到着通知を出して納税の意思確認や商品説明などをお願いする「通知扱い小包(非直課)」も分けておきます。加えて開けて見なければ判断のつかない「開被扱い小包」の四分類に仕分けするのです。
通知扱いは同じフロアーにある金網で囲われた保留室に保管され、「開被扱い小包」はフロアーの中央に集められて、一次選別の終ったあと、中身を確かめ、免税、直課税、通知扱いに再度仕分けをします。
この開被作業で、いわゆる社会悪物品と言われる、麻薬、大麻、拳銃などがたまあに発見され、見つけた方もびっくり!ということもございました。
ここまでのフロアーでの作業は、“いざり椅子”(写真足元)と呼ばれる、ちいさな車のついた背の低い丸椅子に座っての作業で座ったままチョロチョロと移動しつつ、一万個近い小包を20人くらいの作業着を着た直課班の職員が半日かけて行います。
いざり椅子の直課税職員の後ろには郵便局の職員の方たちがいて、連携して小包を免税、直課、通知、開被のそれぞれに集積して行きます。
午後からは、直課税扱いにした小包の課税通知書と到着通知書作成となります。
午後の仕事も五階フロアーですが、いざり椅子から離れて、フロアーの隅に並べられた作業机で、手書きの通知書を作ります。
告知書に書かれている品名と価格で(告知書の記載だけでは品物の税率が判断できないときは開被して)税額を算出するのですが、同じ差出人から同じ受取人に同じ品物が複数個で送られて、これを別々の職員が扱うと税額にバラツキが出てしまい、よくクレームを受けておりました。また、前回は税金がかからなかったのに同じ物に今回は税金をかけられた!というよいなブレも手仕事の世界でしたのでないことではありませんでした。
塚ちゃんと我輩はこの直課税班で仕事をしておりましたが、熊ちゃんは非直課税班で、到着通知を出した、法人宛の小包の課税事務を二階の事務室で作業着などは着用せず、背広などを御召しになって、税務官吏らしく振る舞っていらっしゃいました。
その当時のことてお断りした上で、外郵出張所勤務など傍流も傍流なのですが、背広の非直課税班は作業着肉体労働の直課税班を見下す風潮がありました。まあ目くそ鼻くそのレベルですが。
直課税班は4時くらいまで五階フロアーで書類書きの作業を行います。
やっとに二階に戻ると、既に発送した課税通知書に対してのクレームが待っています。
クレームの内容と相手方の電話番号を記したメモが机に貼り付けてありますので、それぞれの担当者が受取人に電話して、お話をうかがい、場合によっては激しく罵倒されながら、ご説明し、課税計算に誤りがあれば謝り、郵便局にその小包の取り戻しをお願いし、事後処理をするなどいたしておりました。

英語でのクレーム対応は他の職員の分までいたしましたが、振り返ってみますと、本当によい訓練になりましたです。

以上は40年も昔の回想でございまして、現在のことは一切承知いたしておりません。お間違えなさらないように。

過ぎ去ってみれば月日のあたたかし(山田弘子)

メメントモリ