(巻十七)柿食ふやすでに至福の余生かも(結城昌治)

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12月6日水曜日

本日の句など、誠に噛み締めるべきことと存じております。

月天心どこかできまりいる運命(岡本差知子)

さて今宵は二つ目の忘年会で、7時開始でした。三時間弱をオフィスで待つこともないので本屋、電気屋そして最後は能なく飲み屋で時間を潰しました。本屋では断腸亭で迷いましたが、荷風の古文はやはり無理と諦めました。石川桂郎俳人列伝もやや重苦しく取りませんでした。色々な方々の雑文随筆は在りましたが、古本市に出てからでよいだろうと結論し、結局何も買わずに店を出た。
電気屋にはイヤホンを買いに行ったが、ラジオ用の3.5ミリプラグがほとんどなく、ここでも何も買わずに店を出た。有楽町のビックカメラでももうイヤホンは扱わなくなるのだろうか?
今宵の忘年会は品川駅港南口の三菱重工ビル地下である。
山手線の駅で品川駅港南口ほど変貌したところはないだろう。
小学校入学前であったから60年以上昔のことであるが、水産大の官舎に居た知り合いを訪ねての帰り道にこの駅の南口を通った記憶が残っている。水産大から駅までの間に店などなく駅前は暗闇でひどく寂しい所と覚えている。
次に品川駅港南口を通ったのは高校三年の時で、その頃は品川埠頭にあった税関の採用面接に行った時である。
面接官は5人くらいいたが、首席らしい、後で分かったことだが、本多と云う奴が嫌な、意地の悪い質問を投げて来た。5人の中では末席いた谷津さんという方が助け船を出してくれたことははっきり覚えている。谷津さんが最近亡くなられたと訃報が回っていたが、生前に一言でも挨拶しておけばよかったと、今マーちゃんで呑みながら思うところである。


目の高い人に拾はる彩落葉(丸山佳子)


谷津さんの助け船のお蔭で採用していただいたが、税関の本部に勤務するまではそれから15年かかった。
本部、本関と税関では云う、に勤務するようになるとよく品川駅港南口の迷路のような飲み屋路地の店でよく呑んだ。今いるマーちゃんもその中の一軒であるが、鳥一やあかねや、中華の三平、鯨を食わせてくれた鳥徳(通称ポッポ屋)などにたむろしていた。
品川駅港南口は大変貌したが、この路地の入りくんだ一画だけは昔を遺している。そしてマーちゃんのバイトも相変わらず水産大(海洋大)の学生のようである。
そのせいか、インターフォンから流れてくるフロアーから板場への注文
がブリッジから機関場への伝声のように小気味よい。終わりに「宜候う!」とでも付けて気分を盛り上げては如何か?


宜候とボート進めん遅桜(齋藤幽谷)