2/2「夢殿の救世観音 - 広津和郎」岩波文庫 日本近代随筆選1 から

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2/2「夢殿の救世観音 - 広津和郎岩波文庫 日本近代随筆選1 から

静かに厨子が開かれた時、森君の「大したものではありませんよ」と云った心持が解らない事はなかった。実際最初の一瞥(いちべつ)では期待程でもない平凡な感じが来た。併しじっと仰ぎ見ていると、それは何という素晴しい美しさで働きかけ始めるのであろう。姿態の美しさ、手の美しさもさる事ながら、その頬のあたりの魅力 - 少し微笑を浮べているようにも見えるし、浮べていないようにも見えるその頬の複雑な表情 - 簡単に素通りしてしまえばそれまでだが、じっと見ていると、だんだんその複雑な表情から観者の心に静かににじみ拡がって来るものがある。それは唯単に崇高という言葉で表せるだけのものではない。もっと肉感的であり、地上的であり、われわれの直(す)ぐ側をそのまま平然と歩いているものであり、何か往来ででもすれ違いそうなそういう人間的な卑近感の要素をもそれは含んでいる。だが、その人間的卑近感の要素を見つけて、われわれが気易い親しさに溺れかけようとすると、それはにやりとわれわれに微笑を投げかけて、そのままの姿で今度は高く高く何処までも高く昇って行ってしまいそうな気高さを見せ始めるのである。雲の上までも昇って行ってしまいそうな気高さを見せ始めるのである。
何という広く大きなもののそれはシンボルであろう。天上と地上とを併せ得たようなゆったりしたおおどかな広さと大きさ! - 若しわれわれがわれわれの卑近な言葉で、この救世観音のありがたさを解釈すれば、この観音は処女童貞の清純などというそんな単純なものでは凡そない。例えは中宮寺の本尊菩薩思惟像がシンボライズしているものなどよりは、ずっと複雑であり、深刻であり、そして清濁併せ呑んでいる。酸いも甘いも知りつくし、恐らく御自身も品行上の過失を三度や五度は犯していられるであろうし、年頃には人一倍煩悩にも悩まされた経験があられるであろうという感じである。そういう過失の経験を持ち、煩悩の記憶を持ちながら、而(しか)もそのまま雲の上まですっと昇って行ってしまわれそうに気高く、清純で、透明なのである。それだから驚嘆しないではいられないのである。
人々の過失や煩悩を微笑をもって理解し、それを許しながら、そのまま人々を温く救って行きそうな気がする。 - どうしてこんな複雑な大きさ、人生の労苦煩悩の全体を含めて、それを静かな微笑でゆるしているような大きさが、一個の仏像 - 彫刻に具現出来たか、それだからわれわれは驚異の眼を瞠(みは)って仰ぎ見ずにいられないのである。
「世界一ですよ。.....割り切れませんよ」金堂で岳陵氏の云った言葉も、恐らくここを指しているのであろう。
モナリザの謎の笑い - もとよりこの名画を私は複製写真でしか見てはいないが、併し夢殿の観音の謎の笑いは、恐らくモナリザのそれよももっと割り切れなく複雑であろう。
私はそれから暫くこの夢殿の観音に憑かれた感じであった。翌日大阪の町を歩いている間も、私の瞼には夢殿の観音が浮んでいたが、それの人間的地上性の要素を強く思い浮べる時には、デパートですれ違う女にも夢殿の観音の面影を探しているような気持にいつかなっていた。そしてそういう気持から不図(ふと)気がついてわれに帰ると、瞼の中の観音は、そんな卑近なところにはなく、高く高くわれわれの手のとどかないところに昇って行ってしまうのである。
私は今までに仏像の傑作を随分沢山見た。それぞれの仏像が、それぞれの持つ美しさ、立派さ、気高さ、力強さで、私の心に残っている。-併しどうやら私には、夢殿の救世観音がそれ等のすぐれた仏達の一番中央に位しているもののような気がする。この夢殿の救世観音に対しては、それ等の仏達の現しているものは、相対的であり、部分的であるような気がする。

その夢殿の救世観音を拝観している時、私はもう一つまことに気持のよい光景に出遭った。その事を書き添えることは、決して無駄な事ではないと思う。
われわれが若い坊さんに堂内に導き入れられた時、若い坊さんは後の格子戸を閉ざしただけで鍵をかけなかったという事は前に述べたが、前から外廊下を歩いていた数人の一般拝観者は、われわれが堂内にに這入ったのを見ると、その鍵をかけていない格子戸を開けて、どやどやとわれわれの後から続いて這入って来た。それをその若い坊さんは少しもとがめようとしなかったのである。
特別の許可なくしては絶対に拝観をゆるされないと云われている秘仏であるから、恐らく「這入ってはいけない」と云ってその人達を制止するであろうと私は想像していた。ところがわれわれに拝観をゆるすために一度厨子を開けた以上、そこに居合わせたものはみな無縁でないと思ったのか、(恐らくほんとうにそう思ったのであろうと思うが)若い坊さんはそうして這入って来た人達を、見て見ぬ振りに黙許していた。唯あまりに騒がしくどやどやと這入って来て、われわれの邪魔になりそうになったのを見ると、若い坊さんは始めて物静かに云った。
「この方達が御覧になってから、あなた方は見て下さい」
東京あたりで人心が荒(すさ)み、不親切になり、無闇に人が人をとがめたり、喧嘩腰になったりする近頃の世態を見過ぎているわれわれには、何かそれは胸がすっとするような清涼な光景であった。無口で無表情でにこりともしない坊さんであったが、その心はそんなにも優しかったのである。人間の礼儀の何ものであるかを知っている人に、久しぶりで出会ったような気がした。
殊にわれわれの拝観が済み、後から這入って来た一般の人の拝観も済んで、その若い坊さんが「それではもうよござんすか」と云いながら厨子を閉ざしかけた時であった。
遅れ走せに三人駆け込んで来た。婆さんの手を引くようにしてやって来た田舎びた中年の夫婦であった。その足音を聞くと、若い坊さんは厨子を閉ざしかけていた手を一寸(ちょっと)休め、その人達の近づいて来るのを待った。そしてその三人の拝み終るのん見済ましてから、静かに厨子の扉を閉ざしたのである。