(巻二十二)のどかさに今しばらくの迷い道(杉村克代)

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6月11日金曜日

冬帽子を洗濯屋さんに出すか出さぬかで一モメいたした。
洗濯に出すと二千五百円で、家で洗うと形崩れをしてしていまうだろう。
モメたのは金の事ではないし、帽子を選んで買って来たのはだから、あたしにゃ責任はない。
モメたのはがいつまでもどうしょうどうしょうとグズグズ言うので、“働いている内しか被らないから、今年の冬、働いていたら出せば?”と案を提示した。

ある日彼どっと老増す冬帽子(黒田杏子)

それでも、グズグズ言っているので、“好きにしなさいよ!”と切れたら、逆切されて大いにモメたのである。

魚屋の魚物切り半夏生(谷中隆子)

夏帽子は二つとも手洗いできるものなので紛争の火だねにはならない。


午後は久しぶりに図書館へ出掛けてコチコチ読書ようにNYTの記事を五つほどコピーした。

図書館から足を伸ばして“ときわ”に参り、鰯刺で一杯いたした。金曜日の二時近くともなると客も切れたようだ。
テレビでは製作費を切り詰めることだけに頭を使った時事評論番組が流れていて、たけしさんの離婚ニュースが取り上げられていた。
手のあいた親爺さんも見ていて“全部渡したっていいよな。後からどんどん入ってくるだからな。”などと羨ましがっていました。
スーパー・カーと豪邸をワンサかもっていて云々との解説でしたが、所有物については、まあどうでもよい。
たけしさんがくっついた女性には興味があります。どういういい“女”なんだろう?

春雨の糸の操る男女かな(京極杞陽)

写真は谷中さんさき坂、谷中小学校前のタチアオイです。見事でしたよ!

こころ足る日は遠出せず立葵(福永耕二)



「道頓堀罷り通る(其の一) - 坂口安吾河出文庫 安吾新日本地理 から

を読み切った。心地好い文章ではない。