「自家製のニューヨークの味 - 檀一雄」中公文庫 わが百味真髄から

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「自家製のニューヨークの味 - 檀一雄」中公文庫 わが百味真髄から

もう三十年以上もむかしのことになる。
太宰治と私は、卒業の見込みのうすい東大五年生、四年生で、手にゲバ棒こそ持たなかったが、心は悶々、安田講堂から三四郎池のあたりに抜けていって、ヤケにたばこをふかしながら、夕暮れるのを待つ。
やがて三四郎池の水面の光がまったく色を失うと、にわかに蘇ったようにガバとはね起きて、タクシーに飛び乗り、おしかけてゆくところといったら、きまったように、玉の井であった。
その寺島町の二丁目であるか、三丁目であるか、電車線路の手前から「抜けられます」の女の店に分かれるY字路の角のあたりに、壮烈な一杯飲み屋があった。
四方にデコボコの安鏡が張りまわされいる奇っ怪で殺伐きわまる、コップ酒の店である。ただ、この店は、お通しに、必ずアサリ貝の塩汁を添えるきまりで、このアサリの塩汁をすすりながら、大酒をくらうのが、私たちの悲しいオキテのようなものであった。自分たちの浅ましい顔カタチをいやでも、そのデコボコの鏡にうつしながらだ。
アサリの塩汁と、コップ酒と、鏡。
そこから女の店に突撃してゆくわけだけれども、あのアサリの塩汁のお通しは実によかった。私たちの苦渋の青春の象徴のような感じさえする。
この頃では、アサリのおすましのお通しを出してくれるような一杯飲み屋はなくなった。広い東京のことだ、一軒ぐらい、黙って暖かいアサリの汁ぐらい、出してくれるコップ酒の店が、あってもよさそうなものである。
世界中、どこにだって、安い貝はある。
パリのカキやウニが少々高いことはいつだったか書いたつもりだが、ムール貝なら、たしか日本のアサリ貝なみの値段だったような記憶がある。
ムール貝は日本の貽貝[いがい]の種類だろうが、ずっと小さく、ちょうどアサリなみの扱いをして、味噌汁だの、酢味噌だのに、バカによかった。
日本の貽貝はニタリ貝(似たり貝)の別名のとおり、大きさといい、形状といい、女性のシンボルそのままで、ちょっと、貽貝のお吸い物というわけにはゆかぬ。
ついでだから書いておくが、信州の坂城[さかき]のあたりであったか、千曲川の右岸の山なみに、女陰そっくりの岩があり、土地の人は、加賀の若殿様がここを通りかかるたびにニコリとするからニコリ岩といっているが、おそらく、もとは「ニタリ岩」と呼んだものだろう。加賀の供廻りがニタリ貝のデンで、ニタリ岩といったに相違ない。能登の舳倉[へくら]島あたり、それこそドキリとするようなニタリ貝が多いのである。
南仏のブイヤベースは、サフランの香りとオリーブ油をたくみにあんばいしながらたき合わせた、もちろんけっこうな西洋の魚介鍋だが、われわれの口にはオイソレとは入りにくい。
いくら日曜料理の指南上手な先生といえども、ブイヤベースの材料集めだけで完全に一日棒にふり、材料費は一ヶ月分を棒にふり、さて二日めに、輝く金髪色、これはうまい色合いに仕立てあがったと思えば、サフラン臭かったり、オリーブ臭かったり、地中海の海の色を思い出すどころか、黄河のドブ泥の中に伊勢エビを落とし込んだテイタラクになるのがきまりである。
高級は私の性分に合わぬ。



そこへゆくと、安直なクラム・チャウダーなど、私の大好物だ。喰っていて、安心できるからである。クラム・チャウダーというと、いやでも、ニューヨークの中央停車場の地下室にあるクラム・チャウダーの店を思い出す。
一皿いくらだったか、もう忘れたが、外はビルの谷間を吹き抜けるニューヨークのカラッ風だ。そのカラッ風に吹き分けられながら、ことばもどかしく、フトコロ寂しい日に、バカの一つおぼえの中央停車場に駆けこんで、その地下室で、トロリととろけるようなクラム・チャウダーを啜る。そのクラム・チャウダーの中にうかんでいるクラッカーをスプーンの中にすくい取りながら、しみじみと旅の孤独を感じるわけである。
クラム・チャウダーぐらいのことなら、ものぐさ亭主の日曜料理だって造作はないぞ。本場ではハマグリを使うが、今日は安い一皿三十五円のアサリ貝を二皿きばって買ってくるがよい。ほかにジャガイモ少々、玉葱一個、セロリー一本。ベーコンの二、三枚もあったら極上のアサリのチャウダーができるだろう。
まず鍋にコップ二、三杯ぐらいの水を入れて、沸騰させ、そこへアサリをほうり込んで蓋をしめる。アサリが口を開いたとたんに火を消して、そのままさます。
ベーコンはできたら湯通しして、小さく刻む。玉葱をミジンに切り、フライパンにバターを入れてベーコンと玉葱を弱火で静かにいためる。このとき、ニンニク少々といっしょにいためたほうがおいしいかもわからない。
玉葱が半透明の色になったら、いい加減のメリケン粉を加えて、またちょっといためる。さて、メリケン粉と、ベーコンと、玉葱がヨレヨレに練り合わさっている中に、アサリの煮汁の上澄みのところを入れてお団子をつくらないようにていねいにまぜる。
アサリの煮汁の中には砂が沈んでいるから、コップで上澄みをすくってベーコンと、玉葱と、メリケン粉の練り合わせをていねいにほどくわけである。
さて、うまくとけたら、弱い火でよくまぜながら牛乳二本ばかり加えなさい。ぼとよいトロトロ加減だと思うところまで、牛乳や貝の煮汁で薄めればよいのである。そこでもうできあがったようなもんだから、塩加減をする。
ここでアサリ貝をカラからはずして、少し残ったアサリのスープの中でゆすぎながら砂をおとす。アサリは好みでは、小さく刻んだほうがよいかもしれぬ。
セロリーも小さく刻む。
ほかにジャガイモをサイコロのように小さく切り、5分ばかり、塩湯で煮て、とり出しておく。
さっきつくりあげたベーコン、玉葱、メリケン粉、牛乳、貝の煮汁の、トロトロとしたスープがあるだろう。そのスープに火を入れ、セロリー、ジャガイモをほうりこみ、再び煮立ってきた頃、アサリ貝を加えたら、もうできあがりだ。
塩加減が薄かったら塩を足し、トロ味が過ぎると思ったら牛乳を足し、なめらかさが足りないと思ったらバターを足し、
「おい、女房。できたぞ。ニューヨークのセントラル・ステーションのクラム・チャウダーそっくりだ」
ぐらいのことはいってよい。
さて、スープ皿に盛り、ペパーだの、薬味のパセリだの、ふりかけながら、チーズ・クラッカーでも投げ入れたら最高だ。女房が、押し入れにかくしておいたウイスキーを、あわてて運び出してくるかもわからない。