(巻二十四)女体とは揺れ異なれる桜かな(小林貴子)

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12月21日土曜日

午前は家事で午後散歩が暮らしのリズムになってきた。
午後は南に歩いた。年賀状をさくら通りのポストに入れ、今日は新道を6号線まで歩いみたが、新道沿いは何もない。やっているのかいないのか分からないような中華屋が一軒(やっていた)だけだ。
生協に入り珈琲を飲みながら上田三四二西行解釈をコチコチいたす。
生協のイートインでは飲めないのでローソンでおでん酒と河岸を変えてみた。が、ローソンはこの季節おでんの場所をクリスマス食品にしていておでんは見当たらずであった。

尻寒し街は勝手にクリスマス(仙田洋子)

は、やはり名句であると思う。クリスマス明けにおでん酒といたそう。

おじいさん
心は空にしておいた方がよいのだが、そうするとボケることになるかもしれない。ボケないで心を静寂な状態に保つには修行が要るが、修行の仕方が分からない。

空にするには逆行だが、和歌・俳句を読むのは修行ならないだろうか。
小説・随筆に比べて核心がズバッと訴えられている点や小説・随筆に比べて一般の人の作品をたくさん読める点が和歌・俳句のよいところだ。
防人の歌が読めるように現在の無名の方々が吐露される心情を読めることはありがたいことであります。

我が妻を絵に描き取らむ暇もが
旅行く我れは見つつ偲はむ(物部古麻呂)

一円も使わない日を過ごしおり
介護施設に夫と移りて(佐野洋子)

この顔が死後の顔かと思いつつ
手術の朝の髭を剃りおり(小倉太郎)

俳句となりますと、さらに簡潔に表現されますが、その物語の背景を想うのです。

プライドを終の施設に捨てし夏(春山久米)

君生かしし管はずされぬ青葉騒(池田瑠那)

日記買ふ余命宣告受けし日に(芳駿悟)

他の人が考え、感じていることを知ることは心の平衡を得るに一つの道ではないかと思っています。

本

「大隠は朝市に隠る - 中野孝次」文春文庫 清貧の思想 から

を読み終えました。蕪村のことを書いています。