(巻三十三)春兆す子規の小庭のひとまはり(永渕恵子)
6月7日火曜日
作務だ修行だ。午前は拭き掃除に水遣り、洗濯物干しの作務だ修行だ。昼は昼食の温めに買い物、夕方の風呂掃除。みんな作務で修行だ。
風呂洗ふ作務を無心に安居寺(斎藤道廣)
午後からは雨の予報なので11時まえに散歩に出た。猫たちはいないだろうが時計回りで歩こうとケアホームの信号まで来たところで雨を感じた。
五月雨や感じる者と濡れる者(村松敦視)
傘を広げている婆さんもいるので方向転換して生協へ急いだ。この時間帯の生協は混んでいて入口にはややナーバスに空を見上げご主人を待つ忠犬が3頭。指示の物を買って急ぎ帰宅し、洗濯物を取り込んだ。
やさしさが犬の姿をして見上げ(浮千草)
午後は自室に籠り座椅子でうたた寝。図書館ネットワークで「原始仏教」、「仏教哲学」で書物を検索してみた。読めるかも知れない新書版が何冊あったが大半は大冊のようだ。
写真2は5年ほど前に訪れた子規庵の庭。
鳶見えて冬あたたかやガラス窓(正岡子規)
ごてごてと草花植えし小庭かな(正岡子規)
https://nprtheeconomistworld.hatenablog.com/entry/38079597
願い事-生死直結で細君より先に知らないうちに叶えてください。もういいよ!
What is poison?
-Anything beyond what we need is poison. It can be power, laziness, food, ego, ambition, vanity, fear, anger or whatever.
という警句を書き留めた。何事も過ぎてはいけない。エゴや懈怠も過ぎなければ、まあいいかという発想なのだろう。“生き過ぎ”も毒に入るのか。必要があって生まれたわけでもないし、必要とされていない存在だし、自分として生きる必要を感じないとなれば毒だ。消えてしまいたい。
税関で越後どくけし見せもする(中原道夫)
「必要・不必要」で以下の随筆を思い出した。https://nprtheeconomistworld.hatenablog.com/entry/2020/02/06/082909