「塔について~『大和古寺風物誌』から~ - 亀井勝一郎」文春文庫 教科書でおぼえた名文 から

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「塔について~『大和古寺風物誌』から~ - 亀井勝一郎」文春文庫 教科書でおぼえた名文 から

古寺の風光のなかでもとりわけ私の愛するのは塔の遠望である。奈良から法隆寺行きのバスが出ていた頃は、いつもそれに乗って出かけることにしていた。豊かな大和平原をゆられながら、次々とあらわれてくる塔を望見するのがこの上なく楽しかったからである。いまは田園と化した平城京址を過ぎて行くと、まず薬師寺の東塔がみえはじめる。松林の、緑のあいだにそそり立つその端麗な姿が次第に近づいてくる有様は実にすばらしく、古都へ来た悦びが深まるのであった。また小泉のあたりを過ぎるとき、遥かな丘陵の麓の森蔭に法起寺法輪寺の三重塔が燻[くす]んでみえ、やがて法隆寺五重塔が鮮やかな威容をもって立ちあらわれる状景には、いつも心を踊らされる。何故あのように深い悦びを塔は与えるのであろう。
「ああ塔が見える、塔が見える」 - そう思ったとき、その場で車をすてて、塔をめざしてまっすぐに歩いて行く。これが古寺巡礼の風情というものではなかろうかと思う。おそらく古人も、遥かに塔を望みながら、誘わるるごとくひきよせられて行ったに相違ない。塔にはふしぎな吸引力がある。憧憬と歓喜を与えつつ否応なしに我々をひきよせるのだ。その下に伽藍があり、諸々のみ仏が在[おわ]す。朝夕多くの善男善女が祈願を捧げている。そういう祈りの息吹が炎のゆうにもつれあって、静かに虚空へ立ちのぼる相をそのままに結晶せしめたのが塔なのであろうか。いつの春だったか、小泉の辺りでバスを降りて、畦道に腰をおろしながら、法起寺法輪寺の塔を望見したことがあったが、陽[かげ]のなかに二つの塔が幽[かす]かに震えているのをみてこの感を深うした。私はさきに百済観音を白炎の塔として仰いだこてについて述べたが、大和平原はるかに塔をながめるとき、私には、それらが悉[ことごと]く菩薩立像にみえるのである。
薬師寺を訪れるには、西の京から直ちに境内に入る道筋もいいが、バス街道から田畑のあいだを通りぬけ、塔を望みながらゆっくり歩いて行く途中も捨て難い。この秋は、夕暮近く薬師寺を訪れた。夕暮から夜にかけての塔の姿をみたかったのである。塔の尖端にちいている九輪のあたりに、浮雲が漂っていて、それに夕陽が映ってくれないに染った、所謂天平雲を背景とした塔を仰ぎたい、というのが私の長い間の願望であった。東塔は周知のごとく三重の塔ではあるが、各層に裳層[もこし]がついているので六重の塔のようにみえる。そしてこの裳層のひろがりが塔に音調と陰影を与えている。白鳳の祈念に宿る音楽性はここにもうかがわるるであろう。この日は空がよく晴れていて、天平雲は望むことは出来なかったが、松林の緑を透して射しこむ夕日に、塔が紫色に映えて、裳層の陰影も一入[ひとしお]深く仰ぎみられた。
だがそれにもまして驚嘆したのは夜の塔であった。月光を浴びて瓦は黄金に光を放ち、各層は細部にいたるまで鮮かに照り映えて、全体が銀の塔と見まちがうばかりである。満天の星屑を背にそそり立つ荘厳な姿は、私がこの世の中でみた最も美しい状景であった。九輪の尖端には水煙[すいえん]と称する網状の金属の飾りがついているが、この水煙には飛行奏楽する天女の一群が配してある。月光のため白銀の炎のようにみえるその頂上のあたりには銀河がゆるやかに流れていた。天女の奏でる楽の音が聞えたという伝説を残してもよかろう。夕暮の塔をはるかに慕いつつ、やがてその下に立って月夜の姿を仰ぐまでのこの時間を、私は人生の幸福とよんでもいい。少くとも私の半生において最も幸福な刹那[せつな]であった。人間の祈りが結晶して、月のある天上に向ってそそり立つなどということはこの世の出来事とは思われない。
塔は幸福の象徴である。悲しみの極みに、仏の慈悲心の与える悦びの頌歌[しようか]であるといってもいい。金堂や講堂はどれほど雄大であっても、それは地に伏す姿をを与えられている。その下で人間は自己の苦悩を訴え、且[か]つ祈った。生死の悲哀は、地に伏すごとく建てられた伽藍の裡[うち]にみちているであろう。しかし塔だけは、天に向ってのびやかにそそり立っている。悲しみの合掌をしつつも、ついに天上を仰いで、無限の虚空に思いを馳[は]せざれをえないように出来あがっているのだ。人生苦のすべては金堂と講堂に委ねて、塔のみは一切忘却の果に、ひたすら我々を天上に誘うごとくみえる。