(巻二十九)受持は馬屋と決まり煤払ふ(伊藤句磨)

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(巻二十九)受持は馬屋と決まり煤払ふ(伊藤句磨)

6月12日土曜日

細君と生協に行く。2日分の肉、魚、野菜に果物、パン、牛乳、ヨーグルト、ほかにバター、塩、片栗粉、などで5200円ほどの買い物になった。野菜ではゴーヤを買ったが我が家では初物である。

午後の散歩。暑くはなったが、まだ歩けて、まだ紫陽花が残っている。

本日は四千三百歩で階段は1回でした。

地方税の納付通知が届いた。所得が減れば税額も減る。累進なのか結構縮んだ。ゴミの回収と図書館の利用だけでも納税分以上のサービスを受けているように思える。ありがとうさん。

願い事-叶えてください。何も思わずただ消えたい。

「思想としての死の準備-終りに(巻末一部抜書) - 山折哲雄

を読み終わり早速アップした。

どんなに意志を書類にしておいても、結局は医者が安楽死させてくれかどうかにかかっているというご説には納得。しかし最後のところ、

《 そこで、あえて誤解をおそれずにいうのでありますが、私はその最後の段階で、断食わして死にたいと心から願っています。断食のはてに枯れ木のようになって死ぬことができれば、それが最高だと思っているのです。そしてそれが、あたかも自然死であるかのように家族や知人の目に映れば、極楽往生うたがいなしと思っているのであります。》

が気にいらない。

“家族や知人の目に映れば” とはどういうことだろう。死に際まで人にどう映るかを気にしているのか!

人の目にうつる自分や芝を焼く(田中裕明)