「猿の胎児 - 澁澤龍彦」日本の名随筆100 命 から

 

「猿の胎児 - 澁澤龍彦」日本の名随筆100 命 から

 

私が生まれたのは東京の芝区(現在は港区)である。もっとくわしく書けば、当時の住居表示で高輪車町三十五番地ということになる。泉岳寺のごく近くで、そこに母の実家があったのである。俗に「芝で生まれて神田で育った江戸っ子」というが、残念ながら、私は神田で育ちはしなかった。しかし赤ん坊のころ、政友会の陣笠代議士であった母方の祖父に連れられて、泉岳寺付近はよく散歩したようだ。
かなり難産で私は生まれたらしい。ようやく産道をくぐり抜けて、この世の光を浴びた時にも、私は産声を発しなかったという。つまり完全な仮死状態でうまれてきたわけだ。
お産婆さんがタオルでごしごし赤ん坊の心臓をマッサージしたり、足をもって、さかさに吊るし、背中や尻を平手でぴしゃぴしゃ叩いたりして、懸命に蘇生させようとこころみたが、それでもまだなかない。これは駄目だ、とても生きられない、とみんな諦めかけたそうである。
せめて産湯を使わせてやろう、ということになって、お産婆さんが私を盥の湯のなかへ漬けた。すると、熱い湯の温度にびっくりしたのか、弱々しい声で、この小さな赤ん坊が「オギャア・・・」と初めて泣いた。じつに弱々しい声だったという。それでも一同はほっとした。もっとも、母は初めての出産なので、難産とは知らず、一般に出産とはこういうものかと思っていたそうである。
産声というのは、要するに赤ん坊が最初に肺をひらいて、空気を吸いこむための呼吸運動にほかならないが、じつに不思議なものだと私は思う。誕生と同時に、あんな突拍子もない声を出して生きている証拠を示すのは、おそらく人間だけであろう。生理学の方面にうとい私のことだから断言はいたしかねるが、人間に近いチンパンジーやオランウータンでも、あんな声は出さないのではないだろうか。
もしかしたら、産声は人間とその他の動物を分つ、かなり重大な指標の一つになるものではないか、とも私は想像する。専門家のご教示を得たいものだ。
私はオランダなボルクが唱えたネオテニー(幼形成熟)説というのが好きで、この大胆な仮説によって、人類が他の動物と違ったさまざまな特殊性をもっていることが、初めて説明がつくようになったのではないかと考えている。ネオテニー説とは、簡単にいえば、猿の胎児がそのままの形で大人になったのが人類だ、という説であろう。
胎児のままの未熟児の形で、この世にほうり出されたので、人間の子供はその他の哺乳動物のように、すぐ立ちあがって歩き出すこともできず、長いあいだ、親の保護のもとに生きなければならない。子宮からは出たけれども、ただちに現実のなかに飛びこむわけにはいかず、親によって提供された一種の安全な人工子宮、いわば現実と遮断されたガラス張りの人工的世界で生きることを余儀なくされるのである。

しかも人間は、哺乳類のなかでは例外的に、性的に成熟するのが極端に遅い。つまり、この猶予期間のあいだに、人間の本能は現実からずれ、ガラス張りの幻想世界で性欲を満足させることをおぼえるのだ。親に依存した無力の状態で、みずから全能の幻想を楽しむ期間が長いために、長じてのちも、その影響から完全に脱却することが不可能になるのだ。かようにネオテニー説は、人間と動物では本能体制の意味がまったく違い、性欲の追求の仕方もまったく違うということを見事に説明してくれる。
お断りしておくが、ネオテニー説は人類の歴史と現実を説明するものではあっても、べつに現代日本の社会風俗を説明するものではあるまい。よく言われるように、現代の若者が幼稚化し、母親の付き添いで大学受験に行ったり、好んで漫画を眺めたり、社会に適応できず簡単に自殺したりするとしても、それは猿の胎児化とは何の関係もないことである。この点を誤解しないでいただきたいと思う。
性的に成熟するのは遅いが、動物のように交尾期があるわけではなく、幼児のうちから性欲が多形倒錯的に発現している人間においては、逆に、あらゆる動機が性的な色合いをおびているということもみとめなければならぬだろう。誕生したとたん、私たちは否も応もなく、快感原則と現実原則の支配する海にどっぷり浸るのだ。産声とは、どうやら赤ん坊が無意識にそれを知って、発するところの叫び声であるかもしれない。

マルコム・ド・シャザルというフランスの詩人が次のように述べているのを見られたい。
「快楽とは、部分的に肉体を抜け出すことであり、小規模な蘇りである。死はおそらく彼岸へとつづく痙攣であろう。ちょうど赤ん坊の産声が快楽の頂点における叫びと似ているように」
ぎょっとするような、怖ろしいことを言う詩人もあればあるものである。まあ、日本の詩人は間違っても、こんなことを言わないから、私たちは安心していられる。
猿が胎児化して人間となり、現実原則と快楽原則を知るようになって、初めて赤ん坊が産声を発するようになったのではないだろうか。私にはどうも、そんな気がして仕方がないのである。当の赤ん坊が、この世に生み出されたことを喜んで泣いているのか、それとも悲しんで泣いているのか、そんなことは誰にも分かるまい。
赤ん坊の産声と、オルガスムの叫びと、死の痙攣とを一直線に重ね合わせたマルコム・ド・シャザルの文章を読むと、私たちの生と死のサイクルが、明瞭な形で浮かびあがってくるのを感じずにはいられない。
私は、満六十歳で死んだ父の臨終の床を思い出す。最後に口がぽかりとあき、咽喉の奥から、「からからから・・・」という水分の涸れた音が聞えてきたかと思うと、しゃっくりのような痙攣に身を震わせて、父は息を引きとった。それまで規則正しい鼾をかいて眠っていたのが、あっという間の出来事であった。総入れ歯が抜け落ちた父の口は、暗い洞窟のようであった。私は自分の手で、父の眼を閉ざし、口を閉じた。
私が母の胎内から出されても、容易に産声を発しようとしなかったのは、もしかすると、この世に出てゆくのを好まなかったためかもしれない。ふてくされて、みんなを困らせてやろうと思ったためかもしれない。それとも暖かく居心地のよいトンネルの奥の個室から、外の世界へ出てゆくのが億劫だったのかもしれない。
どっちにしても、お産婆さんという余計なお節介をする商売のひとがいたために、私はこの世に生まれ、成長し、快感原則と現実原則に揉みくちゃにされる羽目になってしまった。