(巻三十四) 五年超しの海運株と夏に入る(今井聖)

(巻三十四) 五年超しの海運株と夏に入る(今井聖)

9月10日土曜日

快晴。先ず洗濯物を干す。続いて部屋の掃き掃除。家主に提出する居住者名簿をしたためる。

洗濯物が乾いた頃を見計らって次の洗濯をして外に干した。中二日成立。

昼寝して散歩。白鳥生協で一杯いたした。やはり土曜日で混んでいる。そこから都住2へ回り友達婆さんが二匹に飯を食わせるのを眺める。散歩はそれでおしまい。

場末なり月見る空の邪魔もなし(正岡子規)

名月は方角が悪く拝めない。天気予報の頭で綺麗なお月様が映し出されたが、それで満足いたしました。

と、諦めていたところ、細君が8時半過ぎにベランダから呼ぶので行ってみると隣の建物と大木の間にお月様がいらっしゃった。

噺家の出囃子と枕 - 立川談志」遺稿立川談志から

を読んでいる。

噺家というものはおなじみのフレーズから始まるのは皆さん御承知で、出囃子に乗って出てくる。ま、上り囃子である。それは個人個人違う、いまでいやあテーマソングだ。

文楽は「野崎の送り」、志ん生は「一丁入り」、円歌は「踊り地」、円生は「正札付」、小さんは「序の舞」、馬生は「鞍馬」、三平は意外に「勢獅子」、今輔は「野毛山」、正蔵は「あやめ浴衣」、現代[いま]の奴等はワカラナイ。童謡からポピュラー、何でもござれだ。尤も桃太郎は童謡の「桃太郎さん」だった。ウチの志らくなんざァ何かいな、そうだ鳩ポッポだ。志の輔談春も談笑も知らない。ウチの弟子を知らないくらいだから他の奴等ぁ知る訳がない。

おっと家元は「木賊刈[とくさがり]」。八代目の桂文治のが気に入って、亡き後これを継いだ。間[ま]も文治はゆっくりゆっくりの調子を私しゃ早間にしたが、そうそう、他人の事は云えない。私も小ゑんの頃は童謡、大好きな「あの町この町」であった。雨情の詩が好きで、この詩はえらく幼な心に感じたものだ。お家がだんだん遠くなる遠くなる、今来たこの道帰りゃんせ帰りゃんせ、曲は中山晋平だ。これを下座に頼んだ時は妙な顔をされた。してみゃ童謡が流行った原因は手前ぇなのかも知れない。

それにしても噺家の上り囃子は胸を踊らせたもんだ。前の奴が終る。座布団が引っくり返される。名札が出る。上り囃子だ。キューンとなった。まして好きな噺家の上り囃子には、特に「梅は咲いたか」の柳好にゃ堪らない。“待ってました「野晒し」”と客席の声だ。それぞれの上り囃子は違っても真打ち[トリ]となるとこれは「中の舞」と決まったもんだ。これは変ってないだろう。したがって立川談志普通は「木賊刈」、トリは「中の舞」とこうなる。》

と始まるが、これがこの随筆の枕で、落ちが実に素晴らしい。早くコチコチして来週の金曜日にはご紹介致したい。    

願い事-知らないうちに死んでいたというのが願いです。