(巻十四)ひつぱつてひつぱつて脱ぐ汗のシャツ(北村和久)

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4月21日金曜日

すっかり遊びぐせついてしまった。今日も午後から散策に出掛ける事にした。先ずは大型書店で何か飛び込んでくる本はないかと文庫書架を巡ってみた。吉田健一の酒エッセイ、徳川夢声終戦日記、檀一雄の料理・美食エッセイを拾い読みしたが、一点に絞られたものはあまり読みたくない。夢声の日記は随分と書き込んでいるが、世の中のことは書きたくないので見倣えない。

凍つる夜の独酌にして豆腐汁(徳川夢声)

結局何も買わずに店を出た。本は出逢いである。見合いに出掛けてもだめだ。

昨日は一万七千歩くらい歩いたので、今日はそこそこにしょうと思い、行き先を子規庵にした。鶯谷駅から五分とのことだ。
北口から出てラブホ、ラブホと抜けて行く。因みに料金表は二時間3800円からで駅から離れ子規庵の横まで来ると3200円となっている。連れ込む下心あっての文学デートならこんな好都合なスポットはないが、それならば日暮里駅からの方がより狡猾である。帰りは日暮里駅にしたが十分弱であり、まあ普通の街並みである。

文学の道に岐路あり雪ばんば(中村國司)

子規庵は昔のしもた屋で門はあるが、すぐに玄関である。引戸には“開けてお入りください”と書いてある。その案内でもないと躊躇してしまうような静かな雰囲気である。
引戸を開けて入ると二畳間で台所につながる戸口に座り机があり、同年輩の“館員”が出てきた。ポリ袋に履き物を入れて二畳間上がり、五百円納め八畳間に通される。
この八畳間に門下が集ったとのことで諸氏の名前が紹介されているが、内藤鳴雪佐藤紅緑しか知らなかった。

春雨や酒を断ちたるきのふけふ(内藤鳴雪)

ここで五分ほどの解説ビデオを見ることになっているようだ。
八畳間の隣の六畳間で子規は創作し、闘病したそうだ。八畳間と六畳間からは“小園”に出られる。また、門人たちが子規が庭を眺められるように硝子戸を寄贈したそうだから、写真と同じような視界があったのだろう。“小園”の植物種にその頃のものはないとのことだが、ヘチマだけは育てていると云う。

ごてごてと草花植えし小庭かな(子規)

二畳の隣で台所の反対側の三畳間に母親と妹“りく”の写真があり、支援者“くがかつなん”については随分と写真つきで場所を割いている。展示物はほとんどない。
六畳間には庭に向いて文机と座布団が置かれていて、机の上には記帳と筆、サインペンが用意されていた。今日は二人の方が記帳していた。我輩は控えた。子規庵だけに投句のポストがあり、各年の優秀作三句づつがファイルに入れてあった。書き留めたくなるような句はなし。
二十畳と小庭の史跡であるが順路があるようで、入った玄関から帰ろうとしたら“庭からお願いする”館員から指示された。
ポリ袋から靴を出して縁側から庭に降り、裏木戸を抜けると、そこはラブホの入り口であった。


(一万四千歩也)