(巻十五)だんだんと蒲団となつてゆく体(抜井諒一)

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6月19日月曜日

親分のお伴をしてお役所に廃業届けを出しに参りました。といっても指定暴力団ではございません。

極道の隣に食べる夏料理(三浦北曲)

途中、レインボーブリッジから豊洲を眺めましたが、45年前に晴海の船客待合所から対岸のガス埠頭の不気味な黒い山を見ていたころとは、背景を含めて全く別の世界です。

川と海どこで折合ふ時雨虹(佐藤績麻)

帰宅すると細君が洗濯機を三度回したと威張っていた。週の半ばからは梅雨も本番で洗濯も明日までが勝負たそうだ。部屋は南南西を向いているので朝のうちは日が当たらないが、洗濯物を干すのに不便はない。

洗濯を三度する日や心太(鈴木ゆみ)

月曜日なので細君が朝日俳壇・歌壇を食卓に持ってきてくれた。
その内の一句

あぢさいをトイレに吊す妻娘(吉田穣)

ついて意見が割れた。細君は詠み手は妻子の心くばりを愛でているのだと云い、我輩は便所に紫陽花かと呆れているのだと云う。

トイレには金木犀が似合いけり(潤)

細君が“引っ越し”はどの季節になるのか?と訊くので、調べもせずに、卒業・入学・転勤と引越は“春”だと答えた。
引越しの句はあるかと来たので

引越の本意は言わず花貝母(芦刈晴子)

を申し上げる。

すると秋や冬に引っ越したら俳句は作れないのか絡んで来たので、
引越しが春の季語、あるいは春を思わせることばあったとしても、それに勝る強い季語をぶつければそっちに引かれる、と答え

木枯や目刺にのこる海の色(芥川龍之介)

で、かわした。
このような他愛ない話で毎日が過ぎて行ってくれることを加齢と共に保守化した我輩は秘かに願っているのである。

今日のやうな明日でありたき寒夕焼(日下節子)