(巻十六)眼を先へ先へ送りて蕨採る(右城暮石)

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10月17日火曜日

NYTでジャンボ機(ボーイング747)について、現役パイロットが書いた回想記事を読んでいる。
アメリカでもいよいよジャンボの旅客機が姿を消すそうである。

1969年に就航したとのことだが、私が1971年に羽田空港ターマックに配属された時には、既にジャンボ機用のフィンガーが三本整備されていて、一本目をノースウエスト、二本目をパンナム、三本目を日航が使用していた。ノースウエストもパンナムも消えてしまったが、“残った?残った!”の日航はご立派と云えばご立派である。
その頃、駐機中のジャンボ機には機内検査というゴミ拾いでよく立ち入ったが、初めてジャンボ機で飛んだのは団体旅行で伊・仏・独に行った1980年ころだったと思う。
1990年代から2010年ころまではよく海外に出張したが、日本から海外のハブまではジャンボ機であった。
ジャンボ機が退役し始めた頃、私も退職したのだから、ジャンボ機は我が人生の飛行機と云える。

記事の筆者はジャンボ機の美しさを謳っているが、正に美しい!A380
は確かにデカいが、ジャンボ機の優美さはないな。

轟音を得て浮くジェット機を遠景として塩辛とんぼ(横井芳夫)

離着陸はげしき中に蝶もつれ(檜紀代)

コチコチいたしますので、いずれ記事をお目にかけます。

帰宅し、いつものように機関銃の掃射を受け、飯を旨そうに食い、風呂を掃除し、風呂に入り、寝床を用意して、細君の寝入りを待ち、静かになったところで本棚の後ろに隠匿してある明石のウイスキーの瓶を取り出し、明治のアーモンドチョコレートを摘まみに、ラジオ第二放送のカルチャーアワーの「宗教改革」を聴きながら、ショットグラスに注いで戴いた。少し気持ちが落ち着いたところで次のことに及んだ。

松戸の病院のK医師から行徳の病院のS医師への紹介状を戴いてから一ヶ月が経つ。細かい小さな石があるとの話で紹介状を戴いたが、柏の名医が小さな癌と誤解して真顔になったことが心に残ってしまい、気分がメメントモリである。
どうせ、行徳にいくつもりはないし、紹介状を開封しても罪はなかろうと、思い切って開封してみようかと思った。実は癌の初期などと書いてあるのではないかと、あれ以来実は怯えていたし、怖くて封を切れずいたが、今宵、とうとう開封した。