(巻十七)生身魂せつなきときは早く寝る(小林たけし)

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2月5日月曜日

昨晩の天気予報で予報士の篠原正さんから、立春以降の寒さを“余寒”と言うと教えていただいた。南さんは駄洒落俳句などで面白いそうだが、篠原さんも宜しいですなあ!
残暑見舞いと同じように寒見舞いから余寒見舞いになるとネットが言っている。
蘊蓄は止めます。

意味をよく知らずに“余寒”の句を二句書き留めておりました。

孤独死の窓の汚れの余寒かな(無京水彦)

開け閉めの門扉のきしむ余寒かな(大橋あきら)

いずれも何年か前に戸建てに住んでいたときに書き留めた。写真の石蕗は旧宅の陽の当たらぬ場所に前の前の住人が植えたものである。門扉の音はした。季節によって音は違っていたのかもしれないが、そのことは意識せずにただ書き留めたらしい。
もう一つの方は、実際に筋向かいの老人が孤独死して、「最後に目撃したのは、いつ頃ですか?」と警察官が廻ってきたことがあり、そんなことを思い出して書き留めたのだ。

これだけ寒いと・
・・・・

もう売れてしまったからどうでもいいが、あの路地は住人にろくなのがいないのでやめたほうがいいよ!
あの路地に限らず23区以外の戸建てはいずれ買手がつかなくなるな。武蔵野線の外側は今でもダメだろう。武蔵野線も線としてはダメだ。タワーマンションだって同じだろうな。一般人に手の届くような物件は資産価値が維持でない消耗品ということだろう。
消耗品なら消えてしまうか、少なくとも金を払えば持っていってくれるが、不動(産)だから貼り付いたままで始末ができない。