(巻十七)くしやみしてまた読む徒然草愛し(甲藤卓雄)

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2月27日火曜日

本日で巻十七の読み切りとなりました。追って一巻を掲載いたします。

先週成田空港で買ったドナルド・キーン氏の随筆、「日本古典文学の特質ー余情の文学」を読み、コチコチしています。日本の詩歌は余情を詠んでいるとのお話で、いずれコチコチしたものを掲載いたしますが、以下のところをまずは。

終戦直後、潁原退蔵(えはらたいぞう)という大変優れた国文学者が書いた『余情の文学』という本が発表されました。その題は言うまで もなく日本の文学を指していました。特に歌の場合、満月よりも三日月の方が詩的だとか、満開の桜よりも蕾の桜や散っている桜の方が詩的だと日本人は伝統的に考えていました。これは『徒然草』に、「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」と兼好法師が反語の形でその考え方を表現しましたが、ヨーロッパ人の多くは、それが反語であることに気がつかないと思います。”

名月や雲の配置に余情あり(福島テツ子)

*名月だから満月だろう。満月でも雲の出方で余情が生まれるのか?こんな駄問をしているうちは俳壇は無理だな!

さて、帰宅してオーブンレンジの修理結果を聞きますと、「基板を取り替えて、また注意が出たら連絡してください、だったわ。直ったような直っていないようなことを言ってたわ。今は使えるけど今度壊れたら買い換えましょ!」とのことである。 貼り紙好きの細君は警報ブザーが鳴ったら表示される故障番号を覚えておけと貼り付けた。
電化製品には当たり外れがあるが、このオーブンレンジは外れのようだ。

婿二人とも大当り魂迎へ(伊佐利子)

*細君姉妹は滝野川の美人姉妹と言われていたと吹いているが、俺達は君らにはもったいないくらいなのだ!

修理の方は駐車場所のことを気にしていたと云う。ここの前に停めておいても道を塞ぐことにはならないから大丈夫だが、近所の路地だと交通を遮断してしまうことになるなあ。亀有新道でさえコンビニの配達車が長停りすると車列ができる。

みちのくの夜長の汽車の長停り(阿波野青畝)

*今宵も山手線の線路内立入で長停りされた。