(巻十八)陽物に骨のあるなし知る由なし(筑紫磐井)

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6月5日火曜日

いよいよ梅雨入りらしい。外に出るのが億劫になる前に日比谷図書館に『俳句界』を読みに行くことにして午後はお休みを戴いた。
5月号を読みそこなったので二ヶ月分を捲って以下の句を書き留めました。

否と揺れ応とも靡き芒原(矢田わかな)

本屋減り喫茶店減り陽炎へる(福地秀雄)

人日や夫婦別れて外科内科(除門喜柊)

公園内の緑は深くなり花は立葵と初夏の趣でございました。
この辺りにも中学校はあるようで、恐らく一年生であろう、まだ少年にも至らない生徒たちが声変わり前の号令で今時は廃れてしまったはずの“腹筋”をいたしておりました。
これからの一二年で精通し、陽物が骨になってコチンコチンになって、経験的には「俺はいつできるのだろう?もしかしたら一生涯やれないかもしれない!」んて思いながら“掻く”ことになるのであろう。
それが青春だ!悶えよ少年たち!そして腹筋は鍛えておけ!

日比谷図書館のあとはお定まりのコースで神保町に廻った。
仕入れた文庫本は
『綺堂むかし語り-岡本綺堂(旺文社文庫二百円)』
*綺堂の捕物帖を読んだことはないが、随筆の文章は好きなので今日の一番の収穫である。先に仕入れた村上元三の『江戸雑記帳(中公文庫)』とテーマは変わらないだろうが筆は違うと思うし期待も違う。
あとの二冊は何れも百円であった。
『幸福と不安と-瀬戸内寂聴(新潮文庫)』
*寂聴さまの文章を読んでみたかったので買いました。さらっと捲ったところ文壇よもやま話のようですが、いずれコチコチすることもあるでしょう。
『アーロン収容所-会田雄次(中公文庫)』
*この本はどういう訳か二十代の初めに一度読んでいる。断片的に覚えているが、そのなかで英国軍の女性士官が雑役の日本軍捕虜のいる前で着替えやシャワーなど平気で裸になることが書かれてあり、犬猫猿の前で裸になることに羞恥心を覚えないのと同じように見なされたと書いてあった。
こんなことを頭の片隅において“やった”のだからそれはそれなりに感慨もあったが、うまくいかなかったのもその辺があったかもしれない。

岩波カフェでフレンチフライをつまみに缶の日本酒“岩波”を嘗めながらこんな雑文を打ち、そろそろ愛妻の待つ巣箱に戻ることにした。
休暇は半日がちょうどよろしい。