(巻十九)煤逃やコーヒー店に僧の居て(大橋正子)

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6月14日木曜日

会社の皆さんはやさしく親切なのですが、二ヶ月に一度のパスワード変更のときのパソコンさんが極めて不親切で逆らいます。
今朝もITの方の手を煩わせてしまいましたが、この忌々しい思いもあと一回でしなくなるでしょう。
言い訳ですが、私はブログもちゃんとやれますし、ガラホもそれなりに使い世界との交流にも邁進し、日本政府当局の至らない部分を微力ながら補っております。使えるものは使えると思っております。

パソコンにあそばれている秋の夜(石川正尚)

社長さんが離任されることになり各部門毎に“色紙”をしたためることになりました。
当部ではダルタニアンさんが達筆な字で“感謝”を大書し、各人はリンゴのような吹き出しシールをいただきメッセージを書く方式となりました。
私は吹き出しシールを“リンゴ”だと思い込んでおりましたので、蔓を上にして、「社長さん、よく6年間我慢してくれましたねえ!」との思いを籠めて“6年間ありがとうございました”と書きました。
これをダルタニアンさんにお渡しすると、温厚な彼にしては珍しく、“ちょっと困ったなあ”という表情を見せました。
私は吹き出しシールを“リンゴ”だと思いましたが、これは“風船”だったのであります!
予備の一枚をいただき書き直して再提出し今日一番の大仕事を手仕舞といたしました。

林檎投ぐ男の中の少年へ(正木ゆう子)

昼間のオフィスでのコチコチは、安岡章太郎氏の“荷風”が終わりました。
今日から着手したのは

「日本漂流 - 小松左京」 ケイブンシャ文庫 おえらびください から

日本漂流
ー 長篇のためのプロット。デテイルを想像してお読み下さい。

であります。

副題のように、『日本沈没』のプロットとして書かれた作品でしょう。

帰宅し、郵便箱を開けると介護保険の天引き徴収通知が入っておりました。

生きるにも死ぬにも保険五月来る(東智恵子)

いずれお世話になるかもしれませんし、お支払いできることを幸せと思います。
でも、

ラムネ玉ころんと死んでみたきもの(馬場龍吉)

武田泰淳の「もの食う女」をコチコチしている。
結末が判っているから、この話の結末ではなく武田泰淳さんと百合子さんが幸せな人生を送られたということを知っていて読んでいるから怖がり屋の私でも読めますが、そうでなければ怖くて読めない話です。
ハラハラするストーリーの展開がお好みの方々も多いと思いますが、私は怖くて読めません。小説であればサスペンスは無理ですがミステリーならなんとか読めるかもしれません。奇想天外な話のなら楽に読めるのですが、感情移入してしまうような話は疲れるので手は出しません。もっとも奇想天外な小説、例えばSFは読みません。

韮汁や体臭を売る私小説(花田春兆)

そういうわけで私は随筆のようなハラハラの少ない読物を専ら読んでいるのでございます。