(巻十九)一家なす雀の群れに飯撒いて家族の中に入れてもらひぬ(間渕昭次)

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8月15日水曜日

黙祷を解きて日傘の人となり(紙飛行機)

残りの日々は火・木を休みにすることにしたので今日は通勤致しました。明日は休みます。
さすがの“ときわ”も今日と明日はお休みするとのことでしたので、河岸を上野駅構内の蕎麦屋にして蕎麦で八海山をいただきました。やはり酒はうまい。ホッピーばかり呑んでいてはいかん!蕎麦は吉楽よりはうまかったが酒が八百五十円とちょと高い。内田百けん(“けん”の漢字が出ません)の『食堂車のために弁ず』で百鬼園先生は食堂車が高いのはあたりまえだろうと言っているが、駅構内となればやはり場所代に金を払っているようなものだ。

オフィスでは非違誤謬表と云うもの(業界の方はすぐになんのことかお分かりかとおもいます)の整理をするお役目を仰せ付かっております。そろそろ帳尻を合わせておかないとあとの方に迷惑を掛けますのでやっておきました。もっともこの手のお仕事が大の苦手でございますのでかなりボロボロの表でございますなあ。この仕事しかないのにそれすら満足にできていません。御免なさい。


サザエさんはパジャマを着て寝ます。ネグリジェを着て寝ることはありません。夫のマスオはいささか欲求不満で、電車の中で、ばあさんを若い女と勘違いしたり、うしろ姿のシャンな女の子のあとをつけて行って、ふりかえると実は長髪ヒッピー男だったりするのです。」

で始まる、

サザエさんの性生活 - 寺山修司』角川文庫 家出のすすめ から

をコチコチ読みしました。出だしこそこのようにやや緩い突っ込みですが行を追うごとに舌鋒鋭く切りまくります。ですから氏の短歌の調子とは全く違う文章だと思います。私は文章としては楽しめませんでしたが、 “「家」の中での性的主導権は、時には経済的ヘゲモニーを上まわるものです。”など 御説ごもっともとやや恥じ入るところも多々ございました。
コチコチは全編の3分の2ほどのとこまでに致しました。近々ご紹介いたします。あとの3分の1はちょっとグロ過ぎてコチコチが嫌になりました。

つぎのコチコチ読書には中公文庫『私の酒』に採録されている五味康祐(やすすけ)氏の随筆『行きあたりばったり』を選びました。爽やかな出だしです。

“近頃は何事にも横着をきめこんで、あまり旅には出なくなった。関西から九州方面へ悪遊びをしに行ったり、講演旅行で地方都市をまわることはあるが、あんなのは旅行とはいえまいと自分できめている。
旅というのは、やっぱり、独りで、さしたるあてもなしに旅情(もしくは旅愁)をともなって、持たれるべきものである。気が向けば、その土地に数日滞在するくらいな時間的・精神的余裕がないと、旅した気には、少なくとも小生はなれない。”