(巻十九)熱燗や弱気の虫のまだ酔はず(松本幹雄)

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9月3日月曜日

1時半にお役所へ参ることになっており、単独行なので早めに出て新橋で飯を食うことにした。
ここのところ海鮮丼づいているので今日も海鮮丼を探してみた。新橋なら何軒もあるだろうと思ったが以外にないもんだ。
結局、磯丸水産に入ることになってしまった。“こぼれ丼”とかいうものが海鮮丼にあたるものようだったのでそれにしてみた。値段は九百八十円であるから、庄屋、銀蔵、大舷さんと変わらない。
ここの一番の特徴は飯の盛りのよさである。他の三店を遥かに凌ぐ盛りなので腹を充分に満たしたいと云うのであればその点では一位である。
さて、全体で見るとネタが寂しい。握り鮨に例えれば握りはでかいがネタが小さいというところである。
細かいことを云えば、大舷ではうまい味噌汁が付き、庄屋も味噌汁とサラダがついたし、銀蔵は丼はよろしくないが、茶碗蒸しと味噌汁が付いた。ここはお茶も出ない。
海鮮丼そのものは大舷、庄屋、磯丸、銀蔵というところだが、おまけを含めて考えると磯丸と銀蔵はお値段的には同率3位と言ったところである。

帰途、パン、牛乳、ヨーグルトの
調達に生協に寄ったが、パンとヨーグルトは欲しいものが売り切れとなっていた。台風が来ると高齢者が多い地域のためか客の出足が早いし、しっかりと備蓄する。

帰宅してごみ捨てに出て、野良猫にちょっかいを出したら軽く引っ掻かれて、ちょっと血が出た。これで命を落としてはちょっと残念無念であると焦り、近くの大野医院に走った。
様子見のベテランの看護婦さんに“手は洗ったの?先ず洗わなくちゃ駄目よ!”と叱られた。“大したことなさそうだけど明日になって腫れるといけないわね。そう言う患者さんもいたわ。”と安心させたいのか心配させたいのか玉虫色のコメントをしてくれました。
この医院の前はよく通るのですが、繁盛していて朝の7時には門前列を成しています。だから、もう一時間以上待っていますがしかたないのでしょう。

暇潰しにコチコチ打っていたら電池残料がヤバくなってきた。一時中断。

やっと呼ばれて、消毒と破傷風の注射と云う処置をして頂いた。経過を見るので明日の午前中に必ず来なさいとの厳命がありました。

何か滅入ってしまい、俳句を充てる元気がありません。元気はないのですが、滅入るとグタグタと書き続ける癖があります。普段にも増して下らないことを書きますので読むのでしたらそのおつもりで。

今日のコチコチ読書は

The pitfalls of late-night snacking - by Anahad O'Connor Audust 10, 2018 夜食の落とし穴(体内時計)

でした。これも3分の2辺りまで読み終わりました。
体内時計と云うのは一個ではなくそれぞれの器官にあるとのお話が以下の部分で、この記事の一つのポイント?かと存じます。

Scientists have long known that the human body has a master clock in the brain, located in the hypothalamus, that governs our sleep-wake cycles in response to bright-light exposure. A couple of decades ago, researchers discovered that there is not just one clock in the body but a collection of them. Every organ has an internal clock that governs its daily cycle of activity.

滅入ったのは処置中の看護婦さんの一言だ。死のことが心をよぎりました。
何かでスイッチが入ると死ぬことばかり考えてしまいます。
でも、あのとき手遅れながらも入院して手術したので三年間無事に生きられたのだから、儲けたと思えばよいのだ。儲けたと思ってこれ以上欲をかくのは止めよう!
四十、五十で子供を遺して死ぬわけではないし、先があると行ってもたかが知れている。それにどうしても生きていたいという“生”への願望があるわけではない。理屈の上では“長生きすることが幸せ”とは限らないと分かっている。
三年前の入院で死が身近になり、それで死に仕度に入れた。ここに引っ越したのも死に仕度だ。随分と死に仕度は進んできた。
当たり前のことだが“死”への不安はある。これはどうせ乗り越えられないのだから、惚けるしか手はない。

最近書き留めた、

再発かと怯えし夜の虎落笛(もがりぶえ)(吉田悦子)

に共感し、身震いした方はどれ程いたであろうか?