(巻二十一)ごまめ噛む隙だらけなる夫の顔(長崎玲子)

イメージ 1

1月8日火曜日

今日の句も強烈な一句でございますなあ!そこまで云われちゃお仕舞いよ!

初夢の半分夫に話しけり(黛洋子)

の程度で胸のうち収めておいて頂きたいものであります。

初出勤早々マギーさんにlibraryへの入り方を教えて頂いた。そこにはThe Economistがあり捲ってみたが、コチコチ読書したくなったのはJohnsonのコラムだけでした。これに千何百円も払う気にはなれません。コピー代も要りませんからウヒヒでございます。
libraryのブラインドを揚げて眼下新橋方面を一撮致しました。

大親分が来日し親分が転出したあとの仕事のやり方などの確認ミーティングがございました。私ども下の者には笑顔ですが、マネージャー・クラスは銭が絡むので大変でしょう。このあたりは何処も同じでしょうが?

駅の炉に苦力の銭を見て数ふ(桂ショウケイ子)

旧社の親分さんから呑ませてやら~!との有り難い御誘いを頂いた。現社も暖かくお仲間に入れていただいていますが、周りに爺がいないのですよ!爺が恋しい!

三時半に事務所を出て日比谷図書館に寄り『俳句界』を捲りました。書き留めた句は、

聞き流すことも介護や豆の花(増田都美子)

恐ろしきこともさらりと手鞠唄(加藤耕子)

引潮の真砂のひしと年明くる(布施伊夜子)

石組のかなめの小石淑気かな(渡井恵子)

大根のおでんがすきで国憂ふ(堀切克洋)

わが命先が見え来し去年今年(稲畑汀子)

働けば見失ふもの去年今年(稲畑汀子)

イデアの浮かんでは消え明易し(持永真理子)

逆風といふ春風だつてあるだろう(渡辺まさる)

図書館から“コーラク”へ年始のご挨拶に参りました。テレビでは平成元年の今日とかを流していた。
三十年前の今日と云えばは三田の専売病院に居たなあ。その前年の御用納の日にお役所の事務室での鳩鳴会の飲み会で“酒はまだか!”、“ビールねえぞ!”と叫ぶ古参の上席や審理官の我が儘に応えるべくビールをテーブル(事務机)へ運ぶ途中でパーテーションに躓いて右膝から硬いピータイルに落ちて膝頭を骨折したのでございました。
そして宮崎さんに背負われて病院に運び込まれて入院し年明けのその日は病院のベッドにおりました。
後でその話を聞いた仙蔵氏は“粉骨砕身”の活躍でしたね!などとぬかしておりましたなあ?
そんなことを想い浮かべていると大将が『暴れん坊将軍』にチャンネルを変えた。
年始でもあり、三杯呑んで涙して店を出ました。あの頃のテレビ時代劇は泣かせます。