「偽国宝そろばん - 山岡荘八」文春文庫 文藝春秋編巻頭随筆2から

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「偽国宝そろばん - 山岡荘八」文春文庫 文藝春秋編巻頭随筆2から

近ごろまた、某氏蒐集の佐野乾山の真偽が問題となっている。私も乾山は三、四点持っているが、そのうち一点は佐野乾山なので、改めて土蔵へ入って対面し直した。これは手のこんだ、少くとも新聞評価で何百万と書かれるような品物ではない。いかにも百姓の私に似つかわしい一枚の厚い陶製の板にすぎない。
さらりと松を一本書いただけの釜敷きである。そのさりげなさが好きで購(もと)めたもので、私の観賞眼によれば、何度見直しても佐野乾山にまぎれもなかった。私は再びそれを箱に納めながら何となく苦笑した。こんどの事件の、新聞評価が、また方々へさまざまな悲喜をまき散らずであろうと思うと、新聞評価も罪作りなものだと思ったのだ。
どの記事にも、ほんものならば何百万円と書かれている。何百万円という評価の中には、百万円から九百万円までの幅がある。ニセものをご所持の向きは別として、ホンものを秘蔵している方々はこれを何と受取るであろうか。人情でまさか最高の九百万円とは考えなくとも、最低の百万円とは受取りにくかろう。ところで、その秘蔵の品を骨董屋に持参したらいったい幾らで買取って呉れるだろうか。
たぶん眼をまわしか、カンカンに怒って帰って来るかするだろう。そう云えば私のところに、新聞評価で「百円-」もしないと書かれた可哀そうな芦屋釜がある。この釜は相手が何百万円出すからと云われても、私の代には売ることも、人に贈ることも出来ない釜なのだが.....。
その日私は一日のノルマを終えて炉燵で晩酌をやっていた。そして何気なく夕刊をひろげてゆくと、そこに一つの詐欺事件が写真入りで大きく載っていた。百円もしないニセものの釜を国宝と偽って詐欺して歩いた男が捕まったという記事である。当の釜の写真は載っていなかったが、国宝の指定書が、真偽肩を並べて載っていた。
どうやら犯人は刀剣の目ききで鉄にくわしい男らしく、その偽国宝の現品を杉並区内のある質屋へ金二万円也で入質し、更に、そのニセ指定書を持参して静岡県下で国宝の釜がかくかくの所に入質してあるゆえ買って呉れと、質札と指定書を渡して二十数万円を詐取したという記事であった。それにしても百円もしないような古い駄釜に二万円貸すとは、何というとぼけた質屋だろう.....そんな事を考えながら、他の記事に目を移したとき、電話のベルがけたたましく鳴って来た。出てみると知人のW氏が、
「あれですよ。お宅のあの釜ですよ。警視庁から証拠品としてとりに来ましたから、これから頂きに参ります。まことにどうも.....」
何と、百円もしないと書かれた当の釜はわが家にあったのである。私は酒も入っていたので、いささかならず抗弁した。あれはそんな駄釜ではない。私は四万円では安いと思って買ったのだ。五万円、いや六万円でも高くはない.....と云うようなことは、しかし幾ら云ってみても相手が警察では仕方がない。
私はブリブリしながらその釜を取出させて、改めて見直した。やはり私の目の狂いはなかった。国宝などというしろものではないとしても、四百年生きとおして来た温容と、よく使いこまれた葡萄文の肌にはしみじみと何か語りかけるものがあった。 私は女房に命じて急いで火鉢に火を取らせ、沸きかけた湯を注いでそれに掛けさせた。迎えの捕手(とりて)がやって来るまでに名残を惜しもうと思ったのだ。
釜は無心に松風の音をたてだした。その音を聞いていると、百円もしない駄釜と書かれたことが、母親を侮辱されたようでやりきれなかった。
「お前が、誰の目にも駄釜と映るような出来ばえだったら、こんな眼にも会わなかったろうに.....なまじ姿形が人並すぐれていたため、ニセ国宝などに仕立てられ、警視庁から検察庁まで引立てられることになったのだ.....」
私は一人ブツブツひとり言をいいながら薄茶を点てているうちに涙がポロポロとこぼれて来た。これが人間だったら何と云って嘆くであろう.....みな、彼自身のあずかり知らぬところで起った事件なのに.....。
私がまだ泣きやまぬうちに、不幸な釜の捕手はやって来た。彼は私の前に四万円を差出して、私の様子をジィーッと見ていたが、彼の眼も又まっ赤になっていった。
こうして一度引立てられていった釜は、私が忘れかけた頃になってひょっこり又戻って来た。法律のことは私にはよくわからない。たぶん、犯人は刑務所に入ったであろうし、誰も百円もしないと書かれた釜の所有権を主張する者はなかったのだろう。それで関係者が相談のうえ、この釜を最も愛して呉れた人の手許に置くのがよいとなったらしい。
「あなたならば、これを又国宝だなどと云いふらして旅には出すまい。これはあなたのところがよいということに決まりました」
したがって、百円もしないと書かれたばかりにその釜は、一円の金も出さないまま私のものなってしまった。
新聞評価の何百万円の、これは逆の場合の、ふしぎなそろばんの話である。