2/4「戦後欲望外史-高度成長を支えた私民たち - 上野千鶴子」ちくま学芸文庫 増補〈私〉探しゲーム 欲望私民社会論 から

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2/4「戦後欲望外史-高度成長を支えた私民たち - 上野千鶴子ちくま学芸文庫 増補〈私〉探しゲーム 欲望私民社会論 から

DK -「食」の拡張
ベッド以上に欧風化の顕著なのがDK(ダイニング・キチン)である。これをお読みの読者の方は、ほとんどDKのある家でおくらしのことだろう。DKには、椅子とダイニングテーブルが不可欠である。DKの普及の理由は、生活の洋風化と、狭さからくる住空間の効率利用の二つと考えられてきたが、テーブルの上で食べているものが、あいかわらず鯵の干物とほうれん草のおひたしでは、生活がたいして洋風化したとは言えないし、空間の効率利用という点では、場所ふさぎ椅子・テーブルよりは、たためば片づくちゃぶ台の方が、はるかに生活の知恵にかなっている。ちゃぶ台とダイニングテーブルの根本的なちがいは、後者が固定食卓だということ、ベッド同様、コトが終わっても片づかないというところにある。固定食卓もまた、くらしの中で、あるシンボリックないみを持っている。
固定食卓は、「食べる」という機能を、居住空間の中で自己主張する。戦後の欲望自然主義の中で、市民権をかくとくしたのは、性欲ばかりでなかった。?められ卑しめられてきた食欲もまた、堂々と明らさまな姿を目の前にさらしはじめたのだ。
「君子厨房に入る可からず」という教えは、女性差別だけでなく、食欲への蔑視を含んでいる。これは、女の領域である厨房への不可侵という性別分業規範をも含んでおり、だから女のしごとである料理に男が口を出すのは、卑しいこと、はしたないことと考えられてきた。「武士は食わねど高楊枝」」なのであり、男は、あてがい扶持の料理を、うまいまずいに関わらず、黙々と食べるのが美徳とされていた(今でも日本の男たちは、料理をほめるのがヘタクソだ)。これは、女にとってはかえってやりやすい。「嫁して三年子なきは去」っても、料理がヘタだという理由で離縁された女の話など、聞いたためしがない。
DKのもつもう一つの特徴は、食べる場所と料理する場所がつながっている以上、男が厨房に入らないわけにはいかないことだ。男たちは食べることに興味を持ち始め、妻の料理のうまいまずいにケチをつけはじめる(なんと「女々しい」ことだ)。「うまいものを食いたいと思ってなぜ悪い」と男たちは開き直り、食文化が市民権を得はじめる。終戦直後の飢えから解放され、やがてカロリーや栄養価一辺倒の食生活改善運動の時期を経て、美食への志向が、はじめはおずおずと、しだいに大胆に、あらわれはじめる。紳士の洗練された話題に、食べものが登場する - なるほどこれも一つの文化だ。しかしそれは、都市型の消費社会型の文化であって、少なくとも戦士の文化ではない。一流の教養人たちが、食べものについての蘊蓄を傾けた本をいくつも出版し、食欲を肯定することが「男らしさ」と何ら抵触しないことを証明していく。はじめは、男たちが料亭やレストランなどくらしの外で見つけてきた美食が、外食産業の発達にともなって、核家族のレジャーとなり、やがてくらしの中にめコピーされるようになる。ママのつくったハンバーグに添えられる、一片のしなびたパセリ、という食文化。そのうち、男たちが、あてがい扶持の食生活にがまんできなくなり、ついに自ら包丁を握るようになるまでは遠くない。
消費社会で大衆的にコピーされる食情報は、伝統性にも地域性にも根づいていない。カレーライスに添えるサラダのために、主婦は真冬でもトマトを求めるし、魚ぎらいになってしまった子どもたちのために、日本の食肉依存は増える一方である。しかしそれが「絵に画いたような」 - レストランのカラーメニューのような - 核家族の私民的欲望の規範であるために、人々はそのファンタジーへ向けて、殺到したのだ。
居住空間が、ダイニングや寝室に機能分化していったことを、建築家たちは、近代の機能主義的な空間設計(一空間一機能)のせいだと解するが、建築家たちの思惑を離れて、そこにくらす生活者たちにとっては、空間の機能的専門分化は、べつの象徴的ないみを持っていた。それは「ねる」(セックスを含めて)や「食べる」ことが、それ自体として生活の中に堂々とわりこみ、自己主張しはじめた、ということを意味していた。

LDK - 接客空間の喪失

DKに余裕が生まれるとLDK(リビング・ダイニング・キチン)となる。京都のあるシンクタンクは、S社の依頼で、LDKの研究をしたことがあるが、その時の結論の一つは、LDKは、接客空間という公空間(パブリックスペース)を居住空間から追放した、ということであった。昔の家屋は、縁側のような半公半私の空間を例外なく持っていたし、都市の中産階級は、応接間という接客空間を持っていた。もちろん戦後復興の中でウサギ小屋に住むのがせいいっぱいであってみれば、八畳床の間つきの客間など望むべくもないが、居住空間に若干ゆとりが出てきた時、人々は、応接間のような「非合理」なものより、DKの拡張を求めたのである。
台所は一種の工房であり、私生活のもっとも私なる部分の一つである。台所をむき出したままのLDKの空間は、私空間であって、きらびやかなインテリア雑誌が紹介したり建築家が勧めるように、「お客様をお招きしてホームパーティーを」(少なくともわたしたち庶民がくらす程度のLDKでは)催すような空間にはなりにくい。「客を呼ぶ」と亭主が言い出した時に、LDKの雑然とした景観や私物の散乱を思いおこして憂うつになる主婦の実感は、誰もが持っているにちがいない。そんなLDKに踏みこんでくる「客」とは、せいぜいサンダルをつっかけてやってくる隣のオカミサンくらいで、私事のウラオモテを知り尽くしている間柄の客である。こびりついた油汚れや、散らかした子どものおもちゃを「いいのよ、ウチもおんなしだから」と頓着しない相手である。こんな所に、取引先の客や、夫の上司など、呼べるわけがない。
公空間を排除した核家族の居住空間は、その上、鉄の扉で外界と隔てられて、かつての縁側のような公私の境界領域を持たない。まれに応接間つきの一戸建ちなど「美麗邸宅」を所有している幸運な人たちは、残念ながらウルトラC級の郊外に住んでいて、招かれたからと言っておいそれと二時間近くかけて出かけるのはむずかしい。この場合には、住宅の中の公空間は、公領域からあまりに離れて位置しているために、公空間として機能することができない。
密室の中の私状況化は、こうしてますます進行する。他人の眼にさらされない空間の中で私民化は、歯どめなく進行していく。