「山高きが故に.....ー 浜本淳二」文春文庫’09年版ベスト・エッセイ集から

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「山高きが故に.....ー 浜本淳二」文春文庫’09年版ベスト・エッセイ集から

映画大好き人間である。若い頃はそれなりにこだわりがあって、邦画より外国ものが多かった。どちらかというと話題作を二度三度くり返し見た。現在は非常勤勤務の合間に発生する空き時間に、都合よく合う上映時間の映画を探して見る。一に時間、二に映画となろうか。年間二百本見るのが夢なのだが、まだ達成していない。百九十八本という年が一回だけあった。
もう十年以上も前の作品で、ヒュー・グラント主演「ウェールズの山」というイギリス映画がある。英国風のユーモアとウィットに満ち溢れた楽しい映画で、機会があればもう一度見たいものだと、つねづね思っている。
物語は二人の英国人がウェールズの小さな村を訪れることから始まる。第一次世界大戦が終盤を迎えた一九一七年のことで、一人は英国測量局の測量技師、もう一人はその下で働く、戦場で心を病み除隊となったヒュー・グラント演ずる青年である。二人は国内の山の高さを測量し、基準の三百五メートル以下は山と認めず丘と認定するのが仕事であった。
村人が先祖代々ウェールズで一番と誇りにしてきた村のシンボル「フュノン・ガルウ」山が測定の結果二百九十九メートルで、山にあらず丘だと測量技師が断定した。村人たちはびっくり仰天し大騒ぎとなった。何とか認定を撤回させたいが、技師一行は翌日次の場所に移動するという。
村長が数値は信用できないので再測量して欲しいと交渉し、渋々だが納得してもらう。
そこで村長を中心に村人達が会議を開き策略を練る。第一に村人全員が協力して山頂に土を運び、不足の六メートル分、山を高くしようというのである。次に技師一行を足止めするため、酒好きの技師に十二分の酒を飲ませ、二日酔いどころか三日酔いにもさせる。さらに男だったらクラクラするようなピチピチギャルを青年の世話係にする。仕上げは技師一行が移動に必要な客車を人を乗せない貨物列車に偽装したのである。
こうした悪巧みに村長、村人、校長、酒場のマスター、鉄道員、警察官から牧師まで加担するのだから面白い。普段犬猿の仲だった村人同士や小学生まで、全員が一致団結、参加して人力による昼夜兼行の大(?)土木工事が始まったのである。技師は毎日酒浸りで起き上がれず山の再測量が出来ない。一方、青年は美女とそこはかとなく心を通わせ始める。
かくして山の背伸びは数日後に完成するのだが、その夜豪雨が降り、せっかく高くした山頂の土砂が流されかける。村人は積み上げた土の流失を防ぐため、徹夜で背伸び部分に芝を張り付け朝まで働いたのだった。翌日、雨も上がり快晴の朝を迎える。山頂で村人達さ目的の達成を喜び合い、技師は山の高さを再測量、「フュノン・ガルウ」を目出度く山と認定して村を去る。村娘と結ばれた青年を残して.....。
映画の原題は「丘を登り山を下りてきた英国人」だが、内容をひと言で説明していて興味深い。資料によると脚本・監督を担当したウェールズ出身のクリストファー・マンガーの祖父の代にあった出来事が元になっているようだ。その奥にはウェールズイングランドに対する歴史的な反感がくすぶっている。それを知ってこの映画の奥行きが見えてきた。
ところで山の定義は一体どうなっているのだろう。広辞苑には「平地よりも高く隆起した地塊。谷と谷との間に挟まれた凸起部。古く、神が降下し領する所として信仰の対象とされた」「うず高く盛ったもの。山をまねで作ったもの」などがある。しかし高さについては何の規定もないのだ。また山、峰、岳、丘、岡の区別も同様にない。
一九八九年(平成元年)に日本の「国土地理院」に山の高さに関する委員会が設置された。そこで識者により山の定義を含めいろいろの問題が検討されたのだが、結論は出ず曖昧さがそのまま残った。この問題は日本ばかりでなく英国を除き諸外国でも同様らしい。
ある人が昨年、英国測量局に山の定義について質問状を出したところ、現在二千フィート(六百十メートル)以上を山としているとのことである。そうすると昔から多くの札幌市民に親しまれてきた標高五百三十一メートルの藻岩山は、英国では七十九メートル不足で藻岩丘、それより低い円山は円丘ということになるのか。
「山高きが故に貴からず、樹あるをもって貴きとなす」
「山高きが故に尊からず、神いますが故に尊し」
という日本古来の言葉を思い出した。