「随筆かエッセイか - 向井敏」傑作の条件 から

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「随筆かエッセイか - 向井敏」傑作の条件 から

「随筆とエッセイという用語を人によって使い分けているね。北條秀司、井伏鱒二、それに丸谷才一の文章に対しては随筆、林達夫、安藤次男、奥本大三郎の文章についてはエッセイ、と。伊藤整の場合もエッセイだな。あの使い分けはどれほどの根拠があってのことなんだろう」
さきごろまとめた『文章読本』(初刊昭和六十三年、文藝春秋)のために、先達の諸兄姉から数々のはげましと叱正の言葉をいただいた。ずいぶん好き勝手なことを書いた本だから、何かと気に入らぬ条々も少くなかったであろうに、ていねいに読んでもらえて冥利につきる思いでいるが、そのなかで、やはり気づかれたかと頭をかかえたのが、旧知の友人から寄せられた右の質疑。自分でもそうと知って冒した不統一で、きっとだれかに指摘されるだろうと覚悟はしていたのだが。
あの使い分けは、随筆かエッセイか結着をつけかねて講じた、いわば苦肉の策だった。そのあたりの事情を、この随筆(!)のページ(「文藝春秋」巻頭随筆欄)を借りて語らせてもらうことにする。
だれが、いつ、どこで、どんなふうに使ったのがきっかけだったのか、さだかではないのだが、洩れ落ちた水がやわらかい布地にじわじわと滲みていくように、いつとも知れず世のなかに広まって、気づけばだれもが当り前のようにして用いている言葉がある。エッセイという言葉もその一つである。
二十年ばかり前までは、この言葉はけっして一般的ではなかった。欧米の作家や学者の書いた随想ふうの文章、あるいは研究余滴ふうの短文を指していう一種の専門語として、欧米文学の研究者間で内輪に使われていたにすぎない。その研究者たちでさえ、一般向けの翻訳などでは、たとえばチャールズ・ラムのEssay of Eliaを『エリア随筆』、モンテーニュのEssaisを『随想録』といった具合に、随筆または随想の訳語をあてるのが習いだったように思う。
それが、この十数年のあいだにすっかり様子が変って、随筆という話はしだいに間遠になり、今では、従来随筆と言いならわされてきた文章だけでなくて、小説と学術論文と実用記事以外のほとんどの文章をエッセイと呼ぶのがふつうになっている。文学論や評伝やノンフィクションでさえ、しばしばエッセイとして扱われる(もっとも、用語を統一する癖[へき]のはなはだしあ新聞界ではエッセーと表記することにきめたらしく、原稿でいくらエッセイと大書してもエッセーと改められてしまうのだが)。「随筆家」にいたっては死に絶えたも同然で、すべて「エッセイスト」にとって代られた。

こうした成り行きは文学史や文学辞典の記載の推移のうえにもうかがうことができる。『新潮日本文学小事典』(初刊昭和四十三年)と、これを増補改訂した『新潮日本文学辞典』(初刊昭和六十三年)の場合などが、その最もいちじるしい例であろう。前者では、近世以前の古典的な随筆類について略述した「随筆文学」(斎藤清衛稿)と、明治大正から昭和三十年代までの随筆文学史を展望した「近代の随筆」(田中保隆稿)との二つの項目を立てていたのだが、後者ではあらたに「現代のエッセー」(小田切進)を立項、昭和三十年代以降の諸家の文章を新旧の別なくエッセイとして扱っている。
随筆がエッセイにとって代られた、というよりエッセイにとりこまれたということには、当然それなりの理由がある。近代の随筆、ことに大正末期から昭和十年代にかけて活況を呈した随筆文学は、私小説のくずし書きといった形の身辺雑記ふうのものが大勢を占め、今日のエッセイのように、学問的な、また社会的な諸問題をも語るためには器が小さすぎたというのが、おそらくその最大の理由であったろう。
逆に、エッセイにとっても、随筆をとりこむことは好都合だった。いちいち発言の裏付けを要求される形式張った評論などと違って、随筆という文章形態はもっと気楽な性格のものだから、それをうまく利用すれば、大胆な学問的な仮説や斬新な社会的考察をだれはばかることなく語り出せるからである。
そこまでわかっているのであれば、『文章読本』に引いた随筆ふうの文章をすべてエッセイと呼んで何のさしさわりがあると言われそうだが、かねてから親しんできた作家や批評家の文章に向きあうと、そう簡単にものごとは運んでくれない。感情が理屈にさからうのである。北條秀司のしみじみとした回想や、井伏鱒二の飄々たる行文は、片仮名のエッセイでなく、やはり随筆と呼びたいし、また、丸谷才一のように、随筆という言葉を偏愛してエッセイの語を排しつづけてきた人の文章を、あてつけがましくエッセイと呼ぶのははばかられる。といったことが起きるのである。
文章読本』の大筋は三年も前にできあがっていたのに、脱稿するのにむやみと手間ひまかかったのも、随筆かエッセイかといった、こまごまとした、しかし軽くはあしらえない問題にあちこちで引っかかってばかりいたせいらしい。