「運転士や車掌は何を食べていたか - 岩成政和」国鉄食堂車の繁盛記・食堂車バンザイ! から

 

「運転士や車掌は何を食べていたか - 岩成政和」国鉄食堂車の繁盛記・食堂車バンザイ! から

食堂車があった時代の在来線長距離列車の運転士や車掌など、つまり乗務員は乗務中の食事をどうしていたのか気になる人はいないだろうか。
まず、運転士(機関士)、これは知っている人もいると思うが、乗務中に食事をとるということがまずない。というのは、在来線の運転士の乗務区間は長くても基地から200km程度だからである。運転士たるもの、沿線の状態(信号、駅の構造、要注意地点)は完璧に覚えていることになっており、その意味で通常は所属基地から特急でも三時間程度以内の区間が連続乗務の限界であったからだ。したがって、たとえば東京から九州まで走るブルートレインの機関士であれば、途中7~8回も交替していた。機関車は東京から下関まで同じでも、機関士は何回も代わっていたわけだ。
問題は車掌(およびその他の旅客車内の乗務員)である。今のJRでは会社を跨げば車掌が変わるのが原則だが、国鉄時代はどんな長距離列車でも優等列車なら交代なしの全区間通しの乗務が当然とされていた。したがって長距離列車なら、車掌の業務は軒並み食事時間に2回から3回かかっていた。だから車掌たち〈に〉は当然車内乗務中に食事を摂った。
愛妻弁当の人は別として、多くの乗務員は乗務前に、あるいは乗務中に途中駅で手配して駅の売店や駅弁屋さんで何か買っていた。これらは車掌であれば伝票で後払いができたり、割引になったりしていた。ちなみに後払いが推奨されていたのには理由がある。車内精算業務などで営業上の売上金を扱う車掌は、制服勤務時の私金使用のルールがあったからだ。売店や食堂でのツケ払いには、後払いのありがたさとともに、公金管理の厳正を期するという、当局的な大義名分もあったのである。
また、乗務員が出勤する庁舎に食堂がある場合は、昔はだいたい安くてボリューム満点の乗務用弁当をつくってくれたものだった。
しかし、弁当も2食目3食目となる長丁場では、飽きてしまう。一方、食堂車がついていれば、そこでは温かい食事を出している。だから車掌さんも食堂車でちょっと何かというふうになってくるのは自然のなりゆきだ。ただ、まさか一般のお客さんを押しのけてというわけにもいかないし、食堂車メニューの値段は、たとえ割引いてくれたとしても車掌の安月給?で毎回食べるにはキツい。となると、同じ列車に乗りつけた縁、一般のお客さんが引き上げたあとでちょっと手早く簡単なものをお願いして……ということになる。かくして留守番役以外の車掌たちが暇な時間の食堂車に集まり、車掌同士の打ち合せを兼ねて、(車掌たちだけで)食堂車でつくってもらった「スペシャルにチープな」メニューを食べるというパターンが、お客である我々からもよく見かけられた。
そこでこうした車掌たちの食事として、伝説のメニュー「ハチクマライス」がいつとはなしに生まれたようである。営業を終了した夜行列車の深夜の食堂車を覗くと、片方のテーブルでは食堂車従業員たちがお茶を飲みながら歓談中、もう片方のテーブルではハチクマをむさぼりながら車掌たちが乗務の苦労話を交換中というような光景があったものだ。さて、そのハチクマとは……
八っつあん、熊さんといえば、江戸時代の庶民の旅を描いた名作『東海道中膝栗毛』の主人公の凸凹コンビだ。そして、ひと昔前の特急乗務員やファンならよくご承知なのが、食堂車の名物メニュー「ハチクマ」こと「ハチクマライス」だ、そこで、この「ハチクマ」についてちょっと記しておこう。
このハチクマというのは、乗務員用に食堂車でつくっていた特別メニューだ。だからお客さんは食べさせてもらえなかった。でも、どうしてハチクマなんだろう。珍道中の旅をつづける八っつあん、熊さんを車掌が自らになぞらえたのだろうか。筆者も正確な由来はわからないでいる。
で、ハチクマって何だ?といいますと……。
〇「あさかぜ風」ハチクマのレシピ(大盛一人前)
材料 あたたかいご飯1・5人分、キャベツたっぷり、生卵、あればハム1枚
つくり方
①ごはんをお皿にひろげ、脇にキャベツをたっぷり盛る。
②フライパンに油をひき、目玉焼きをつくる。ハムがあればハムも焼く。
③目玉焼きとハムをごはんにのせる。

④お好みで、ソースか醤油をかけて出来上がり。
なんだ、そんなのオレ、学生時代に貧乏下宿でよくやっていたというあなた。そう、そんなものなんです。ナニが「あさかぜ流」だヨというあなた、「あさかぜ流」というのは今筆者がつけただけなので怒らないで下さい。
要するにこのハチクマ、「まかないメシ」に近いものだ。これくらいなら簡単につくれ、ひと皿に盛ってもらうから洗う手間もかからない。それに安い(タダではない)。ハチクマが一番普及したのは寝台特急だったが、昼行の列車でも、そしてなんと新幹線にもあった。
いずれにしても「ハチクマ」は、鉄道の黄金時代、そう、社会も国鉄も厳しい規律のなかにも大人のおおらかさを持っていた古きよき時代の風習だ。「北斗星」なんかで「ハチクマ」なんていっても、若い食堂車従業員や車掌さんは「なにそれ?」と首をかしげたことだろう。
2007(平成19)年に開館したさいたま市の「鉄道博物館」には、往年のロゴもそのまま再現した、その名も「日本食堂」というレストランがある。このレストランは大衆化されていた列車食堂末期のメニューを出すのがコンセプトであるから、豪華なディナーなどはない。それがまた嬉しいところでもある。その日本食堂のメニューには、なぜか堂々と「ハチクマライス」がある。ただ、これを食べた元国鉄車掌さんは、「こんな豪華でうまいものではなかったけど、安かった」と言ったらしい。真偽のほどはともかく、興味のあるかたは試していただきたい。一般のお客さんが食べられる貴重なハチクマライスである。