(巻三十六)よく眠る夢の枯野が青むまで(金子兜太)

(巻三十六)よく眠る夢の枯野が青むまで(金子兜太)

5月9日火曜日

晴れ。朝家事は毛布干しだけ。細君買い物、私も生協へ。

昼飯喰って、一息入れて、アリオのユニクロへTシャツと短パンを仕入れに出かけた。折り込み広告を見たところなかなか売っていないポケット付きのTシャツを特売しているらしい。

女性洋品の売り場から入店したが、此処のマネキンの胸はヨーカ堂のマネキンの胸よりやや豊やかと拝察いたした。

マネキンの鼻が生意気更衣(中西宏)

マネキンを下着で立たせ夏に入る(丸井巴水)

ポケット付きTシャツは男性洋品の売場で直ぐに見つかったが生地が薄く色合いが歳にそぐわない。側で商品の整理をしていたシャキッとしたお兄さん店員さんに、他にはポケット付きがないか訊いたところ、耳の不自由なのででスマートフォンに話してくださいとボディー・ランゲッジ。当方の要望を音声でインプットし、画面に表れた文字でCommunicationが取れて別の筋まで連れていってくれて、商品の棚を教えてくれた。こちらのは無地の綿の緩々の品物だったので2着選んだ。次いで短パンに移り派手な若者向きの短パンが並んでいる売場にいたシャキッとしたお姉さん店員さんに「ベルトを通す形状の短パンでゴムも使っていて伸び縮みする年寄り向きの短パンはどこですか」と訊いた。「チノパンの生地の品はこちらです」と連れて行ってくれて何点か勧められたがどれもゴムの弛みのない品だったので買わずにおいた。

セルフ・レジにて精算して退出いたす。ちなみに正札1990円の物が1290円だったので得した気分にはなった。得はしていないのかも知れないが、まあ気分は悪くない。

家を出た時は帰りに蕎麦屋さんかモツ焼き屋さんで一杯いたそうかと考えていたが、飲みたいという強い欲求が湧かず一丁目のSeven-Elevenまで戻ってアイスコーヒーを喫するだけにした。Seven-Elevenのアイスコーヒーはファミマ同様氷入りプラスチックカップで客が保冷庫から取り出してレジへ持っていく方式。

最後に生協に寄りハイボール、柿ピー、菓子パン、猫のスナックを買う。締めて千円少々。外飲みせずに地味~に生きましょう。

猫ちゃんたちに数日ぶりに再会し癒された。昼前にトイちゃん、午後はトモちゃんとクロちゃん。トモちゃんはだいぶ気を許すようになり頭を撫でてもビクつかないし、猫特有の媚びる仕草が少し窺えるようになった。クロちゃんはいつも通りの明るさで遊んでくれた。猫のスナック代、一日220円、は心の糧だお薬代だ。写真はトモちゃん。

願い事-涅槃寂滅、即死でお願いいたします。

今宵はFM葛飾で「きしゃぽっぽ」を聴きながらハイボールを啜ろうか。

で、

「機関士ナポレオンの退職(清水廖人作)の解説 - 原口隆行」鉄道ジャーナル社 文学の中の鉄道 から

を読み直してみた。

夏草に汽罐車の車輪来て止まる(山口誓子)

「機関士ナポレオンの退職(清水廖人作)の解説 - 原口隆行」鉄道ジャーナル社 文学の中の鉄道 から>

清水廖人は、ほかに職業を持ちながらその生涯の大半を群馬県松井田町(現在は安中市松井田町)横川で過ごした作家だった。廖人というのは筆名で、本名は良信といった。

戦時中、泰緬[たいめん]鉄道の建設に従事、昭和二十一年(一九四六)に復員して国鉄に入り、蒸気機関車の罐焚[かまた]き(機関助士)を経験した。その後、家庭の事情もあって郷里に戻り、横川機関区の碓氷峠(横軽)の険峻を行き来する電気機関車の機関士として定年を全うしたというのが、清水の略歴である。

そんな清水が、四十歳代前半、大きな話題を集めたことがある。同人誌「上州文学」に載せた作品が「文学界」の昭和三十八年十一月号に転載され、昭和三十八年下半期、第五十回芥川賞の候補作に推挙されたのである。

その作品というのが『機関士ナポレオンの退職』であった。残念ながら、田辺聖子の『感傷旅行』に賞を奪われたが、選考委員の一人だった船橋聖一の選評は「私の点は、『機関士ナポレオンの退職』が一位。『感傷旅行』が次点で、該当作はナシであったが、田辺を推す委員が多く、考え直して私も同調した」というほど際どいものだった。

標題でもわかるように、この作品は機関士を主人公にした小説である。フィクションではあるが、清水の職場での体験が色濃く投影されており、それだけに臨場感が豊かである。

物語は、丸山咲平という機関助士のモノローグという形式で進む。ここに登場する「ナポレオン」というのは本名を寺山源吉という、ナポレオンを崇敬してやまない初老の機関士で、仕事一途の一徹者、一方、丸山は太平洋戦争が終結して出征していた大量の国鉄職員が復職、それに加えて戦後の教育を受けた若手が新たに入ってきたために、その狭間にあって昇進を阻まれ、なかなか機関士になれないという天涯孤独の古参助士である。

その丸山が、年末の交番でナポレオンと組むことになる。ナポレオンは、五十五歳の定年を目前にして、

(前略)「組合が何と言おうと、区長がが頭を下げようと、俺は絶対に辞めん。見よ、この健康な肉体を!まだまだ、向う十年は使用に耐える。まだまだ若者には負けんぞ!」(後略)

と豪語してやまないほど意気盛んで、上役も仲間もほとほと手を焼いており、誰もが助士につきたがらない。丸山はそれまでは組むことがなかったのだが、指導助役からそれとなくナポレオンに引導を渡す、つまり退職を促す役割を引き受けてくれと頼まれて断れずに乗務することになる。

ところが、いざコンビを組んでみるとナポレオンは、なるほど本人が豪語するとおり確かな技量の持ち主で、停車位置の誤差もほとんどなく、時間も正確であった。それに、頑固者ではあるが人情に篤[あつ]い一面も持ち合わせていた。

ナポレオンは大の焼酎党で、その晩丸山は早速ナポレオンの家に呼ばれて一献傾ける羽目に陥った。以後、ナポレオンと丸山の親交は深まり、それにつれて二人で飲む機会も増えてゆき、飲むほどに語り合うほどに丸山はナポレオンへの敬愛の念を深めてゆく。ナポレオンもまた、丸山のことを気に入って、

「それならばよし。とにかく機関士にだけはならなけりゃあいかん。それ以上偉くなる必要はない。総裁か局長になるというなら別だ。それ以下なら、なってもくだらん。人間の本質が奪われる。人間らしく生きられん。機関士で十分だ!」

といって丸山を励ました。

丸山は発奮して機関士の昇格試験に合格するべく猛勉強を始めたが、ナポレオンとの乗務もそろそろ終わりにかかる頃、ナポレオンは「老兵は、やはり去る以外にない」と、丸山にだけ秘かに退職することを伝える。丸山は、そんなナポレオンを慰めようと、勤務中ではあったがホームの売り子から酒を買ってきて機関室で二人で口にする。そして、それが運悪く指導員に見つかってしまい、定期昇給を見送られてしまう。しかし、丸山はその頃にはすっかりナポレオンに心酔していたから、自分の行為を悔やむことはなかった。

物語は、退職したナポレオンがその夜、丸山を自宅に呼び、酒を酌み交わしながら「俺は、本当は息子がほしいのだ」といって夫人と相談して養子にしたいと申し出るところで終わる。ナポレオン夫妻には子供がなかった。

と、書くとなにやら感傷的な人情話のように思えてしまうが、二人乗務だった時代の電気機関士や助士の気質や当時の機関区の状況などもしっかり書き込まれており、極めて男臭い小説である。

この作品が、もし芥川賞を受賞していたら、清水廖人のその後の人生もあるいは違ったものになっていたかもしれないが、そうならなかったからといってこの作品の小説としての価値はいささかも損なわれはしない。当時の鉄道模様を今に伝える名作である。

なお、この作品は二年後に『喜劇 各駅停車』という題で映画化された。ナポレオンを森繁久彌、丸山咲平を三木のり平、ナポレオンの妻を森光子が演じて好評を博した。ただ、舞台は横軽ではなく、足尾線(現在のわたらせ渓谷鐵道)、二人が乗務する機関車も電気機関車ではなくてC12形蒸気機関車だった。

また、清水にはほかに続編ともいうべき『牡丹雪』、電車の運転手を主人公にした『オレンジ色の灯』、国鉄当局と動力車の職員との闘争を描いた『金鵄勲章』、鉄道清掃員の女性を描いた『機関区のある風景』などの鉄道に材を求めた作品がある。