(巻十)日もすがら繋がれてありし厩出し(高野素十)

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2月6日土曜日

本多勝一氏の「日本語の作文技術」に苦戦したあと、永井荷風の「江戸芸術論」(岩波文庫)に二度目の挑戦をいたしました。
内容は江戸時代後期の浮世絵を中心にした芸術についての解説と批評をした論文集です。浮世絵の収集・研究が海外から始まったことと荷風の国際性がこの芸術論を読んでよく解りました。
北斎だけではなく、広重や春信、国芳などの作風について、フェノロサなどの外国批評家の鑑賞と荷風の趣味が語られています。一回目は途中で投了といたしましたが、今回は最終頁まで一応到達いたしました。

浮世絵の女虫売軽げの荷(後藤夜半)

そもそもこの文庫本を買ったのは、荷風の文章を読んでみたかったからです。

14頁の一文など、とてもいいなぁと思いました。
「かつて広大堅固なる西洋の居室に直立し闊歩したりし時とは、百般の事自(おのずか)ら嗜好を異にするはけだし当然の事たるべし。余にしてもしマロック皮の大椅子に横りて図書室に食後の葉巻を吹かすの富を有せしめば、自らピアノと油絵と大理石の彫刻を欲すべし。然れども幸か不幸か、余は今なほ畳の上に両脚を折曲げ乏しき火鉢の炭火によりて寒を凌ぎ、簾を動かす朝の風、廂(ひさし)を打つ夜半の雨を聴く人たり。清貧と安逸と無聊(ぶりよう)の生涯を喜び、酔生夢死(すいせいむし)に満足せんと力(つと)むるものたり。」

行年に見残す夢もなかりけり(永井荷風)


本多勝一氏が「日本語の作文技術」のなかで“日本語は論理的文章表現に適していないと言うのは正しくない。”と書いていますが、この芸術論もその証左とも言えるのではないでしょうか。

77頁
「その後文化の初め数年に渉りては専(もっぱら)馬琴その他の著作家稗史小説類の挿絵を描き、これによつて錦絵摺物等の板下絵においてはかつて試みざりし人物山水等を描くの便宜を得、大にその技を練磨したり。加ふるに文化末年名古屋に赴くの途次親しく諸国の風景を目睹(もくと)し、ここに多年の修養自ら完備し来りて、文政六年年六十余に至り初めて富嶽三十六景図の新機軸を出せり。これを以て見るも北斎は全く大器晩成の人にして、年七十に及んで初めて描く事を知りたりと称せしその述懐は甚だ意味深長なりといふべし。」

ひと魂でゆく気散じや夏の原(葛飾北斎)