(巻十五)遠雷や柩にこの世覗く窓(山本菫)

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8月2日水曜日

NYTの記事に英国プレミアリーグのストライカー、Wayne Rooney(ルーニー)がマンチェスター・ユナイテッドからエバートンに移籍することに関連して、峠を過ぎ、落ち目にさしかかった大選手を凝縮したbiographyにして紹介している。読みきれない箇所もあったが、記事の構成の巧さに感服いたした。
先ずは、マンチェスターからエバートンへの移籍についてのべ、続いて落ち目のルーニーを引き取ったエバートンは賢くないと突き放している。
続いてルーニーの選手としての分析に入り、
His rapid descent was foreseen. He always had the look, the body, of a player who would burn brilliantly but briefly.
His greatness lay in his power, his dynamism, his explosiveness; over these last two, three, four years, all have visibly diminished. Rooney is not today, and will not be tomorrow, what he was yesterday.
は辛辣であるが的確な見方なのだろう。
そう叩いておいてからルーニーの過去の栄光を紹介し、ファンのあまりにも大きな期待とのギャップに言及して終盤に入る。
終盤ではベッカム対局に置いて、生き方の下手なルーニーと上手いベッカム、下層出身のルーニープチブル出身のベッカム、厳つい顔のルーニーと美貌のベッカム、野暮なルーニーと洗練されたベッカムと対比し、まあ仕方ないよな?と引導を渡した上で、「でも、ルーニー、お前は本当はいい奴なんだよな!」と、ちょっと慰めて終わっている。
一つ一つの指摘や評価は冷徹であるが、これだけ掘り下げて自分を見てくれたと、この記事を由とするのではなかろうか?この記事の筆者はルーニーの“理解者”である。

この記事もコチコチしているので、いずれ覧に供せるものと思いますが、お急ぎの方は探して読んでください。
見出しは、
Returning as champion, but not conqueror
です。

右の手もその面影もかはりぬる我をば知るやみたらしの神(鴨長明)