「ひとり老後を幸せに生きる(3節抜書) - 和田秀樹」ひとり老後を幸せに生きる から

 

「ひとり老後を幸せに生きる(3節抜書) - 和田秀樹」ひとり老後を幸せに生きる から

 

孤独は生きる上での大切なテーマ


老いればたしかに孤独と向き合いますが、いまの時代、孤独は誰にでも訪れます。若い世代でもいじめにあってグループから除け者にされたり、他人とのつき合いが苦手で引きこもってしまう人も珍しくありません。もっとありふれたこと、たとえば失恋とか、自分を支えてくれたものを失ったときにも人は孤独感に襲われます。
それだけではありません。
みんなと上手につき合い、友だちもたくさんいて、いつもSNSでつながりを確かめているような人でも小さなことで不安を感じたり、一人が怖くなったりします。どこかで孤独感を意識するのでしょう。
そういう孤独への恐れは誰にでもあると思いますが、同時にわたしたちには「好きなように生きたい」とか、「煩わしい人間関係から自由になりたい」「ありのままの自分でいたい」という願望もあります。他人に気を遣ったり遣われたり、そういう息苦しさから逃げ出したいという気持ちです。
それは「一人になりたい」ということですね、

「ときどきでいいから一人になりたい」
他人の束縛から逃れて一人になり、自分のやりたいことだけやって過ごしたいという気持ちだと思います。つまり、孤独になることそのものをかならずしも恐れているわけではないのです。
「孤独って何だろうな」とわたしが考えるのも、そういう二つの矛盾した受け止め方があるからです。これはたぶん、あなたも同じだと思います。「孤独になりたくない」という気持ちと、「一人も悪くない」という気持ちです。
いまのあなたがいくつなのかはわかりません。でも、そろそろ老いを意識する年代だとしたら、やがて孤独になるかもしれない自分を想像することがあります。長く生きれば生きるほど、その孤独は避けようのない境遇になってきます。
だとすれば、恐れてばかりいても始まりません。
自分から孤独を迎え入れてみる勇気も必要になってくるはずです。
その勇気を生み出してくれるのが、いまのあなたにもときおり浮かんでくる願望、「一人になりたい」ではないでしょうか。そこから「孤独も悪くない」という大らかな気持ちが生まれたときに、自分が高齢になることへの覚悟も定まってくるような気がします。

 

「ほんとうの自分に戻る」ということ


やがては寂しさや孤独感が生まれてくるとしても、「一人っていいな」と気がつく時間はとても大切です。理由を説明してみましょう。

人とつながっているというのはたしかに安心です。
でもその安心を守るためには、相手や周囲に合わせて自分の願望を抑えたり、その場の雰囲気を読んだり、あるいは他人の言葉や態度からその要求を汲み取るといった気遣いがいつも求められます。ほんとうの自分を出せない状態が続くことになります。
わたしが敬愛するウィニコットという精神分析学者は、そういう状態を偽りの自己(ソーシャルセルフ)と名付けましたが、彼自身、そういう偽りの自己が悪いとは言ってません。多かれ少なかれ、どんな人でも偽りの自己で社会に合わせて生きているし、それによって孤立することなく周囲とつき合っていけるという現実があるからです。
ただウィニコットは、いつも偽りの自己ばかり出しているうちに、本当の自分を出せなくなってしまうのがまずいと主張していて、わたしもたぶんその通りだろうなと感じています。閉じ込められてしまった自分が、いつどんなきっかけで暴発するかわからないからです。あるいはほんとうの自分が消えてしまったら、周囲や他人の言いなりのまま生きるしかなくなるからです。
その意味でも、「一人っていいな」と気がつくときは、ふだん閉じ込められている真の自分が自由になって、大きく背伸びしている時間なのでしょう。
「一人になりたいな」と思うときは、そういう自分が自由になりたくて息苦しい人間関係から逃げ出したくなっているときなのでしょう。
それはとりもなおさず、ほんとうの自分に戻るということです。
偽りの自己から抜け出して、本来の自分に戻るということですね。
自分の人生を存分に楽しむためにも、どうしても必要な時間になってくるはずです。

孤独という言葉じたい、色あせている


これはあくまでわたしのイメージですが、かつては孤独という言葉には寂しさとか厳しさ、あるいは近寄り難さのようなものがありました。どこかストイックなイメージです。
でもいまはずいぶん違ってきています。
そもそも周囲との人間関係が途絶えて一人になることが孤独なら、「それって孤独じゃなくて自由でしょ」と考える人が増えているような気がします。

「煩わしいつき合いなんかしないで済むなら、それがいちばん理想的」
「親しい人には会いたくなったら会えばいい、あとはずっと一人でも少しも寂しくない」

そういう考え方は少しも特別ではないし、かりにそれが孤独好きというのでしたらそこにもう、寂しさも暗さも感じられなくなっています。
「おひとりさま」という言葉が流行したのはもう10年以上も昔のことです。上野千鶴子さんのベストセラー、『おひとりさまの老後』がきっかけだったと思いますが、言葉じたいが文字通り一人歩きして孤独のイメージをずいぶん明るく塗り替えてくれました。

もちろんいまでも、孤独にはマイナスイメージがあります。独居老人とか引きこもりといった言葉に対しても「寂しいだろうな」とか「暗い毎日だろうな」と考える人は多いでしょう。
でも現実には一人暮らしを楽しんでいるおじいちゃん、おばあちゃん、引きこもって自分だけの世界に満足している若者が珍しくないのです。そういう人たちに、「孤独じゃないですか」と尋ねたらたぶん、「べつに」という苦笑いしか返ってこないと思います。
あるいは孤独そのものを肯定的に受け止める考え方も広まっていますね。たとえばマンガで人気になってドラマでもシリーズ化された『孤独のグルメ』がそうでした。中年男が一人で飯を食うだけのストーリーですが、目の前の料理に夢中になっている男には孤独が持つ寂しさのイメージなんかまったくありません。むしろ幸せそうなのです。

書籍の世界でも孤独を肯定的に、前向きに受け止めようという主張は大きな流れのような気がします。超高齢社会はいずれは孤独と向き合う社会ですし、ネット社会は人間関係の束縛から抜け出すことを可能にしてくれます。孤独はもはや当たり前の日常になりつつあるのですから、恐れるより親しむほうが生きやすい時代になっているのでしょう。