徘徊:業平橋、墨堤、山谷堀、吉原、三ノ輪(其の二)

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現在、業平橋の下に川は流れておりませんで、親水公園になっております。欄干など残っておりますが、写真のように柵に囲まれ、橋の標示盤も錆びてまさに

老残のこと伝はらず業平忌(能村登四郎)

でございました。

スカイツリー前から北十間川に沿って橋巡りを致そうと小路に入ったところ、人力車が四台ほど乗り付けてきました。二人乗りの力車の客は完璧な和装でしたが、言語は中国語のようでございます。二昔前に同胞が世界中でやっていたようなことが今この地で為されているわけですねえ。金持ち喧嘩せずは万国共通のようで、にこやかに手を振られましたので、笑顔をお返ししておきました。

車引き車引つつ過ぎにけらり(勝海舟)

想定外のことでしたが、句帳からよい句が出てきました。

ここから北十間川隅田川に注ぎ込むまでに、小梅橋、源森橋、枕橋とございます。
小梅橋は昭和の古い橋で頑丈さが懐古趣味を充たしてくれます。
源森橋は国道6号線に架かる橋ですが、橋の袂の説明では元々の源森橋は現在の枕橋のところに架かっていたそうです。ですから、池波正太郎氏の作品に出てくる源森橋は枕橋のところに架かっていた橋でしょう?
源森橋から枕橋までの北岸は隅田公園の一画に沿います。説明に依れば隅田公園は元の水戸藩下屋敷あととのことでした。

時代劇橋のたもとに柳あり(山本敦子)