(巻十七)秋草を活けて荒野を垣間見る(市掘玉宗)

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12月14日木曜日

年も押し詰まってきた。いつ毎日が日曜日になるか知れない身であるから有給休暇を残しておいても仕方ない。10日くらいは残すことにして午後からお休みをいただいた。
師走半ばの十四日であるから泉岳寺を考えた。しかしホームページを見ると相当混雑するようだし、“財界二世学院”とかの行列まであるそうなので赤穂義士祭の日に行くのは止めた。

熱燗や討入り下りた者同士(川崎展宏)

ちょうどカレンダーも手に入ったので、昼飯をご馳走になった蛎殻町ののりおさんを訪ねようと電話を入れた。3時過ぎに外出先から戻るとのことである。

初暦妻めとる日も見当たらず(高浜虚子)

此方の都合もその方がよい。日比谷図書館で俳句界の12月号を読んでから行ける。
12月号の特集は“
平成俳句検証”と云う判例時報みたいな表題であるが、俳人たちの互選で平成俳句に最も影響を与えた俳人と句を並べていた(写真1)。
もし問われれば、
次の三句である。

つちふるや嫌な奴との生きくらべ(藤田湘子)

もう誰もいない地球に望の月(山崎十生)

毛虫落つそこに始まる物語(小泉八重子)

12月号から以下を書き留めた。

秋惜む神を恐れぬ高さより(今橋真理子)

厄介な素数なりけり西瓜切る(大矢恒彦)

ほどほどに働くがよし山眠る(小島健)

よろこびは晩年に来よ龍の玉(未詳)

問ひだして問におぼるる晩夏かな(仲村青彦)


図書館を出て、日比谷から千代田線で大手町へ、そこで半蔵門線に乗り換え三越前で降りた。三越でのりおさんへの手土産を買ったが、のりおさんがベーカリー業界の人であることを忘れカステラなどと云うセンスのないものを選んでしまい後悔した。
のりおさんのお店に着くと奥さんもいらっしゃり、久しぶりに歓談した。いずこも同じで亭主に死ぬまで働けと尻を叩いていた。
蛎殻町ののりおさんのお店を出て、浜町を清洲橋通りの方向に歩いた。今日は清洲橋を渡るのが目的だ。清洲橋隅田川に架かる橋のなかでも最も古色を漂わせている。
浜町から清洲橋を渡り深川に入り萬年橋の方に進み芭蕉公園の下の遊歩道を常盤一丁目まで歩き、そこで大川を離れた。
次なる目的地は高橋(たかばし)の魚三酒場である。
四時半を過ぎての入店であったがまだ座れた。最近話題の富岡八幡前門前仲町店に比べれば客足は繁くない。
大関瓶詰めの燗を頼み鰯の刺身で先ずは落ち着いた。今日は鱈ちりと決めて来たので方針を変えずお願いした。豆腐一丁に鱈の切身一丁は昔のままだ。

鍋焼ときめて暖簾をくぐり入る(泊雲)