「文学の中の鉄道 から 雪国 - 原口隆行」 鉄道ジャーナル 刊 文学の中の鉄道

「文学の中の鉄道 から 雪国 - 原口隆行」 鉄道ジャーナル 刊 文学の中の鉄道


国境の長いトンネルをぬけると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。

『雪国』の有名な冒頭の一節である。書き出しがこれほど人口に膾炙された小説もそうはないだろう。
タイトルにもなっている「雪国」は、いうまでもなく越後の国、現在の新潟県、「国境の長いトンネル」は上越線清水トンネル、「信号所」は土樽(つちたる)信号所(現在の土樽駅)である。
物語はこの後、主人公島村の向かい側の座席に坐っていた若い娘の葉子が島村の前の窓を降ろして身を乗り出し、雪の中に立つ駅長にこの信号所で駅員をしている弟の消息を尋ね、今後のことを頼む場面に入るのだが、島村はそれを見ながら三時間前の情景を思い出す。暖房の温みで曇った窓ガラスを拭いたら、それが鏡になって車窓を夕景色が流れるなかに葉子の姿が映って驚くという場面がある。葉子は、座席に身を横たえたどうやら病気らしい青年の行男に憂い顔で連れ添っていた。
島村は無為徒食の都会人で、新緑の時節に越後湯沢温泉を訪れて出逢った駒子という芸者見習いの娘が忘れられず、再会を果たしに行くのである。
ここから舞台は越後湯沢に移る。駅に降り立つと、葉子と行男も降りる。そして、島村と宿の番頭の間で、

「お師匠さんとこの娘はまだいるかい。」
「へえ、おりますおります。駅におりましたが、御覧になりませんでしたか、濃い青いマントを着て。」
「あれがそうだったの? - あとで呼べるだろう。」
「今夜ですか。」
「今夜だ」
「今の終列車でお師匠さんの息子が帰るとか言って、迎えに出ておましたよ。」

といった会話が交わされ、島村は行男は駒子の師匠の息子で、駒子とほぼ許嫁に近い関係にあること、葉子は駒子の妹弟子であることなどを知る。
この後、島村は高台にある温泉旅館に滞在、駒子との間で様々な葛藤を繰り広げるのだが、この間に『雪国』発表当時は湯沢村といった湯沢町のたたずまいがじつに細かく情感豊かに描かれて、読む人をこの雪深い温泉郷へと誘い込んでゆく。だが、村の玄関にあたる越後湯沢駅は島村や葉子が降り立つ場面のほかにも数回登場するが、それはあくまで一つの点景としてにすぎない。
この小説は鉄道描写が素晴らしいということで人気を呼んだ一面があるが、それは越後湯沢駅ではなくて、冒頭の土樽信号所の場面、またその三時間前の、ということは列車が高崎を走っているあたりの島村の回想場面によってであることが、これでわかるだろう。
ちなみに、この作品は章立てにはなっていないが第一章に相当する部分が「文藝春秋」の昭和十年(一九三五)新年号にその名も『夕景色の鏡』という題で発表されたが、昭和九年十二月発行の「汽車時間表」を紐解いてみると上野を13時55分に出る各駅停車新潟・小山行き707列車というのがあり、高崎発車が16時20分、越後湯沢到着が19時16分である。冬の午後四時半前後というと、そろそろ日暮れてくる頃で、平仄(ひょうそく)は合う。
ところが、島村と宿の番頭の会話で番頭は「終列車」と話しており、そうなるとこの列車では辻褄が合わなくなる。というのは、上野を16時15分に出る各駅停車長岡行き727列車が終列車だからである。ただし、この列車の越後湯沢到着は21時37分、高崎到着はぴったり三時間前の18時37分で、この時間は冬季はもう真っ暗である。
むろん『雪国』はフィクションであり、また文中のどこにも越後湯沢はもとより、トンネルも信号所も実名では描かれていない。したがって列車もフィクションであって一向に構わないわけだが。
ただ、川端康成は戦後に出版された岩波文庫の「あとがき」で、「『雪国』の場所は越後の湯沢温泉である。私は小説にあまり地名を用いない流儀だった。地名は作者ならびに読者の自由をしばるように思えるからである。また地名を明らかにすると、その土地に確実に書かねばならぬように思うからである(後略)」と、舞台が越後湯沢であることを渋々ながら認めており、そんなことから作品の人気が高まるにつれて越後湯沢温泉の人気も高まったのだが、列車や駅名が話題にされることはまずなかった。
湯沢町は、現在に至るも『雪国』の街であることを標榜しており、川端康成がこの小説を執筆した高半旅館(現在の雪国の宿高半)の「かすみの間」、歴史民俗資料館「雪国館」、冒頭の一節を刻んだ主水公園の文学碑などで川端の事績と『雪国』の面影を偲ぶことができる。
川端康成が乗り降りした越後湯沢駅の駅舎は、残念なことに昭和二十年(一九四五)一月に火災で焼失、その後、建て替えられ、上越新幹線が開通した際に、さらに建て替えられて様変わりした。清水トンネルも、複線化に際して下り専用の新清水トンネルが昭和四十二年(一九六七)九月二十八日に開通して上り専用になったから、冒頭の場面を追体験することはできなくなった。
なお、上越線上越南線、上越北線として南北から建設が進められ、昭和六年(一九三一)九月一日に清水トンネルが開通して全通した。土樽信号所もこの時に開業、十五年(一九四〇)一月十五日に駅に昇格した。水上~石内間は最初から電化されていたから、『雪国』冒頭の汽車は厳密にいうと電気機関車牽引の列車である。