「鉄の幸福 - 荒川洋治」忘れられる過去 から

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「鉄の幸福 - 荒川洋治」忘れられる過去 から

『週刊・鉄道の旅』(講談社)の創刊号は「大井川鐵道飯田線」の特集だ。以下、「嵯峨野観光鉄道叡山電鉄」「釧路本線・石北本線」「小海線しなの鉄道」「五能線津軽鉄道」とつづきJR・私鉄一〇〇路線(五〇冊)を紹介。売れ行きがいいらしい。鉄道ファン(マニア)がいかに多いかということになる。
廃線を訪ねて」というコラムもある。第一回は「坂川鉄道」。木曽川の支流の川上[かわうえ]川の渓谷を走る軽便鉄道(一九二六~一九五六)で、廃線から半世紀近くたったいま線路はないが、鉄道跡の道はあり、「地域の人たちの記憶は色濃く、みな親切にその場所を教えてくれる。天気のいい日に訪ねたい小鉄道跡だ」(杉崎行恭)とある。
鉄道ファンは新線開通となると真っ先に乗り、廃線と知ると最終列車をカメラにおさめ、鉄路が消えても「廃線の旅」をするのだから、二倍も三倍も幸福を手にしていることになる。鉄道ファンはこまかいことにも詳しいので、鉄道について不正確なことをいうと、いや「思う」だけでも叱られてしまう雰囲気がある。
男性に比べると、女性にはあまり鉄道ファンはいない。男はものごころつかないうちから本能的に「動くもの」が好き。昔、獲物を追いかけた名残なのかも。鉄道は同時に「動かない」世界でもある。一地点から別の地点への、不動の一本道。そして関係者以外には動かせない列車の「発着時刻」。こうした拘束性に男性はしびれるらしい。
鉄道の旅は、おどろきの連続である。おどろくたびに、鉄道の知識はふえていくのだ。
〔自分でドアのあけしめをしなくてはならない列車〕
東京近辺では八高線、相模線などの一部の車両。はじめての人には、おどろきである。
〔直流・交流切り替えのための消灯〕
北陸本線の長浜付近。夜だと、しばらくの間、車内が真っ暗に。
ループ線
大型時刻表の路線図からも、はっきり読みとれるのが上越線(新幹線ではなく在来線)の上り線、越後中里・湯檜曽[ゆびそ]間で、列車が螺旋状に迂回する。急勾配を緩和するためだ。下り線の地下深くにある土合駅も絶景。はじめて「体験」したときの感動は忘れられない。
スイッチバック
ぼくの知っているのでは信越本線二本木駅(新潟県)が、そう。急に停車してポイントを切り替え、逆方向に列車が走りだすので、たまげる。これも勾配を和らげるため。
走行方向が変わるため、座席を乗客全員で一八〇度回転させる。はじめての人は、なにごとかと思う。
こういう事態に「乗り」あわせて、おどろくようでは、鉄道ファン「アプト式鉄道は、碓氷峠でしたっけ」とでもいおうものならたいへんだ。「アプト式はいまは静岡の井川線アプトいちしろ駅長島ダム駅間だけだろう」。鉄道ファンはなんでも知っている。
ぼくの鉄道の思い出は、旧北陸本線の杉津[すいづ]駅周辺の光景だ。列車は日本海沿いの山の上へ。そこで列車は、まるでお休みでもとるように、海を見ながら、ぼうっと止まるような感じになるのだ。則武三雄『越前若狭文学選』によると、明治の文豪、田山花袋も杉津の風景について書いている。
「トンネルを一つ。また一つ。更にまた一つ。さういふ風に、出てゆくたびに、その海が段々遠く、パノラミックになつてゆくさまは、何とも言はれなかつた。その積雪の中に思ひ切つて碧く海の見えてゐたのも私には忘れかねた。」(『温泉周遊』一九二八)。
杉津を通るこの路線は、北陸トンネル開通(一九六二)で姿を消した。子供のとき、この風景を知っていたことを、ぼくはいましあわせに思う。
文学に描かれた鉄道の世界といえば、中野重治の名作「汽車の罐焚き」(一九三七)だろう。
汽車の罐焚きをする「鈴木君」の、汽車についての話をまとめた、聞き書き小説である。蒸気機関車が「出る」(発車する)ときには、機関手がいちばん大事らしい。
〈『......だからいくらベルが鳴ったって、いくら後部車掌が手をあげて笛を吹いたって、機関手がリバーシングリバーを進行方向へ送って、バイパッスの弁を足で蹴とばさないことにや列車は一センチだって動きやしません。」
「ふうん......」
何を蹴とばすのかわからなかったが私は感心した。〉
話はつづく。レールのように伸びる。「私」も楽しい。ぼくも楽しい。