(巻二十二)とうがらし高齢といふ反抗期(岡本久一)

イメージ 1

6月2日日曜日

朝っぱらからに怒られた。就寝の際に洗面所の水道栓をしっかりと締めず水ポタにしたので怒られた。朝食後食器を洗って水切り篭に入れたまではよかったが、スポンジも無意識に食器と一緒に水切り篭に入れてしまい、それを忘れていた。

このごろ呆けの初期症状が出てきたようだ?何か考え事をしながら家事をしているとしくじる。一度に二つのことが出来なくなりつつあるのだなあ。

父の痴呆冗談ならむ松明くる(徳武和美)

午後は角川俳句6月号を捲りに図書館に出掛けた。

書き留めた句は:

開発を押し留めたる青田かな(栗原勝風)

退職を言ひ出しかねて四月馬鹿(田中優美子)

無駄な日をむしろ愛して蜆汁(大牧広)

老人を泣かす二月のレジ袋(後藤幸次郎)

読むことに尽きる生涯春の雨(岡田泰)

マスクして深く己の中にゐる(谷中弘子)

でございました。
“令和の新鋭39作家”という特集でしたが、

熱燗や期待するから腹も立つ(高橋将夫)

老人を泣かす二月のレジ袋(後藤幸次郎)
はまだよくわからない。教えてください。



「死ぬ場所の問題 - 水野肇」中公文庫 夫と妻のための死生学 から

を読み終わりました。いずれご紹介いたします。

この御説は“欧米人との比較”を連発した安易な論調でありました。
二、三十年前の文章ですからそれが普通だったのかな?ず~とそれが普通なのかもしれない。

『 酒の飲み方をみても、欧米と日本はちがう。日本人は仲間でワイワイ、ガヤガヤいいながら飲む。しかし、欧米人は、家で一人でじわーっと飲む。欧米型の飲み方は、アル中を促進するという一面もあるが、じっと静かに飲むために、考えたり、本を読みながら飲んだりする。孤独に耐えた飲み方というものかもしれない。欧米人は、日本のように酒を飲んで、うまくもないのにカラオケで歌うなどということは考えられないのである。
孤独の究極にあるのが「死」なのである。孤独をさける人には死は考えられないのかもしれない。死は絶対的孤独だともいえよう。死ぬときには誰もいっしょに行ってくれない。心中の発想は、個の確立がないところから生まれてくるのではないだろうか。好んで孤独になれとはいわないまでも、ときには一人で考えることは日本人に必要である。』

欧米人のお世話にならなくても下のような論をまとめることは出来るだろうと思う。

『 孤独の究極にあるのが「死」なのである。孤独をさける人には死は考えられないのかもしれない。死は絶対的孤独だともいえよう。』

社会的に死んでいれば生物的死を少しは受け入れ易いだろうとは思います。