WATERFRONT NEWS

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WATERFRONT NEWS

 

東京税関-認定事業者(AEO)リストを更新 11月20日

 

Tokyo Customs updates its Authorized Economic Operators (AEO) Lists

https://www.customs.go.jp/kyotsu/aeo/tokyo.htm

 

Customs FAQ explains AEO Importers (1901, 1902, 1903), Exporters (5601, 5604), Brokers (9106) and Warehouse Operators (9205, 9206) at respective items in English.

https://www.customs.go.jp/english/c-answer_e/customsanswer_e.htm

 

国交省―地価動向7月~10月を公表 11月20日

 

MLIT shares land-prices trends between July and October

https://www.mlit.go.jp/report/press/content/001372908.pdf

 

上海市―輸入冷凍食品のコロナ対策で検査証明 JIFFA 11月19日

 

Shanghai City Requires Virus Test for Cold-Storage Imports

 

Japan International Freight Forwarders Association (JIFFA) shares the subject line information as under.

https://www.jiffa.or.jp/en/news/entry-6777.html

 

動物検疫―フランス(一部地域)からの家きん輸入停止 11月19日

Poultry import ban (part of France)

Animal Quarantine Office announces that poultry from some provinces in France is banned because bird flu has been identified in the region.
https://www.maff.go.jp/j/press/syouan/douei/201118_3.html

 

東京税関―成田・羽田二空港貨物取扱量統計10月分 11月19日

 

Cargo handling volume at two airports in Tokyo area

Tokyo Customs shares cargo handling figures at Haneda and Narita Airport for October 2020.

 

https://www.customs.go.jp/tokyo/narita_haneda-cargo/narita_haneda-cargo2020.htm

 

動物検疫―家きんの初生ひなの条件、日仏同意11月18日

France and Japan have agreed chicks’ health requirements

“Animal Health Requirements for day-old chicks of poultry to be exported to Japan from France”, English text and Japanese translation follows.

https://www.maff.go.jp/aqs/hou/require/attach/pdf/chick_i_france.pdf

 

動物検疫―デンマークからの家きん輸入停止 11月18日

Poultry import ban (Denmark)

Animal Quarantine Office announces that poultry from Denmark is banned because bird flu has been identified in the region.
https://www.maff.go.jp/j/press/syouan/douei/201117.html

 

関税局―貿易統計10月分 11月18日

 

Trade statistics for October 2020

https://www.customs.go.jp/toukei/shinbun/happyou_e.htm

 

経産省―貿易管理手続き―コロナ感染関連で簡素化及び許可承認期限の延長11月17日

 

The Covid-19 pandemic makes METI lighten applicants’ procedural burden

 

METI simplifies reference paper/data and seals for licensing applications, filings and other trade control related reporting. And it automatically extends the expirations of some the licenses/permissions/approvals. Please scrutinize the announcement.

https://www.meti.go.jp/policy/external_economy/trade_control/boekikanri/download/export/2020/20201117_ouin-kaisei.pdf

 

 

「びっくり箱 - 荒川洋治」忘れられる過去 から

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「びっくり箱 - 荒川洋治」忘れられる過去 から

「狭き門」「贋金つかい」の文豪アンドレ・ジイド(一八六九-一九五一)が亡くなって一〇年後、批評家ボワデーフルは書いた。ジイドは忘れられた、「煉獄にはいった」と。
没後一〇年で、母国で、母国フランスで、ジイドはこんなことを、いわれてしまったのだ。直後(一九五八)からはじまるヌーヴェル・ヴァーグ、そしてヌーヴォー・ロマンという新芸術の蔭に、ジイドは消えた。いまジイドを読む人は少ない(はず)。いっぽうでチェーホフドストエフスキーカフカプルーストジョイスなどは死後ますます評価を高める。
忘れられることにも、残ることにも理由があるだろう。日本を例にとって、そのあたりを見つめてみたい。どうして消えるのか、忘れられるのか。
①生前文壇で勢力をもちすぎ、没後急速に敬遠される。→佐藤春夫横光利一(ただし近年は再評価のきざし)など。
②その生き方や文学がいまひとつ明確ではなかった。あるいは徹底しなかった→有島武郎など。ちなみに佐藤春夫はここにも、はいるかも。
③国民的人気を誇ったが、芝居・映画化でイメージが固定。→山本有三船橋聖一、火野葦平尾崎士郎壷井栄石川達三など。映画を見れば済むので、読者はその人の文章を読まなくなるのである。特に映画は文学にとって危険なものだ。
④社会の変化に合わなくなった。→宮本百合子平林たい子野間宏高橋和巳など。荒俣宏の『プロレタリア文学はものすごい』(平凡社新書・二〇〇〇)を読むと、小林多喜二平林たい子は、あるいは岩藤雪夫などはこれから読まれるべき人なのかとも思う。
⑤国際的な作家として名声をかちえたあと、筆がゆるんだ→安部公房
⑥「時代」を次々に突き抜けるほどの、強い個性や魅力がなかった。
この⑥のケースがいちばん一般的であるように思う。次に来る「同種・同傾向の作家」の文学世界に「吸収」されて印象を弱めていくのだ。
西欧風の青春文学で一世を風靡した堀辰雄は、戦後日本の「新風俗」を下敷きにした石坂洋次郎の作品世界に「のまれて」しまう。ところが石坂洋次郎も、石原慎太郎五木寛之などにそのあとのまれてしまう。
時代小説では、山岡荘八吉川英治大佛次郎がより繊細な「大衆性」をひめた山本周五郎にのまれて消えていく。
サラリーマン小説では源氏鶏太がいっとき永遠の生命をもつかと思われたが、新しいサラリーマン像を描く山口瞳に、さらに山口瞳は人生哲学的なひろがりをもつ城山三郎に、とってかわられる。歴史物の井上靖の人気はいまは、いっそう明確で柔軟性のある歴史観をもつ司馬遼太郎に、あるいは「文章」をもつ、吉村昭に吸収されているようす。

知的な青年の苦悩を描く、椎名麟三田宮虎彦などは、高橋和巳倉橋由美子と交替した。その彼らは「軽い時代」の到来により、一九八〇年代には村上春樹に完全に吸収される。知的なものにすがりついて悩む青年そのものが滅亡したのだから仕方がない。いまの世の中は「おとな」ばかり。知的な青年どころか、青年そのものが存在しないのかも。
女性作家の変動もはげしい。岡本かの子円地文子、中里恒子、有吉佐和子らは「よりはっきりした」ことばをもつ宇野千代に吸収される。与謝野晶子林芙美子らはまだ強烈な個性に訴え「健在」である。
教養が高すぎて、引き継ぐ人がいなくなった幸田露伴(露伴に責任はない!)、きまじめに大作を書き続けたが、話題にするとき、とっかかりがない大家(島崎藤村徳田秋声など)も、忘れられたわけではないが、読む人はひところよりへった。
いっぽう残る作家はどうか。漱石、鴎外は別格とすると太宰治三島由紀夫だろうか。二人のパーソナリティは強烈。評価温度が変わらないのは二葉亭四迷国木田独歩芥川龍之介梶井基次郎など。彼らは他の人にはないものをもっているということなのだろう。とわに。いつまでも。
消えた人がふたたび、よみがえることはあるのだろうか。
ひとつのジャンルそのものが生き返ることがある。寺田寅彦は昭和のはじめ、「一国の『文化』が高まり、個人の教養が深くなるにつれて、文学は随筆の形式をとるようになる、あるいはもっと精確にいえば、随筆が文学のあるかなり重要な領域を占めるようになる」と述べた(『中谷宇吉郎集』第一巻「文化史上の寺田寅彦先生」)。その予言はみごとに当たった。「個人の教養」が深くなったためかどうかはともかく(その反対だろうが)、現代はごらんのように「エッセイの時代」になった。寺田寅彦、内田百ケン、幸田文らの文章の「復活」は印象的である。
個人では、木山捷平が近年復活した。亡くなって三〇年近くたったところで、その文学は静かに身を起こしたのだ。講談社文芸文庫の作品集も九冊になった。生前は「私小説」の人とみられたが、三島由紀夫は(「私小説」とはまったく反対側の人なのに)、木山という作家はちょっとちがうのではないかなと、当時微妙な発言をしている。三島は木山に何かを感じたのだ。残る人は、残る人を知る人なのか。
もうひとりは、さきごろ未知谷から全三巻の全集が出た「第三の新人」の一人、結城信一であろう。いつもひとりで銀座の茶房にあらわれ「濃くて、熱い珈琲」をしずかに味わう場面が、その小説には多い。主観に徹した純乎たる文学世界は一年に一人、二年に五人というように少しずつ読者の数を加えた。まだいる。北ボルネオを描く『河の民』(中公文庫)などで知られる里村欣三(大空社から全一二巻の著作集が出た)。没後七〇年、初の全集が企画された大正期の文士藤沢清造(四十二歳の冬、芝公園内で凍死しているのが発見された)。長編「根津権現裏」(一九二二)を当時の批評家たちはこぞって讃えたが、あまりに深刻な内容なので、褒めた人たちも、この長編を読み通していないといわれた。文学全集の片隅にもはいらなかった作家が、突然、全集だからおどろく。「びっくり箱」だ。本人もびっくりだろう。これが文学のおもしろさ、楽しさなのだ。消えた人にも夢がある。

(巻二十七)渡り鳥近所の鳩に気負いなし(小川軽舟)

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(巻二十七)渡り鳥近所の鳩に気負いなし(小川軽舟)

11月20日金曜日

いつ降りだすかわからない空模様のなか、月に一度の血圧の診察を受けに駅前へ出かけた。

受付で体温測定、36度4分。やはり客足は低調のようで30分待ちで診察して頂いた。先生の測定で130-84だから、自分で測っている数値もまあ正しいのだろう。「収まっていて順調ですね。」とのことでした。

薬局に寄り、待ち時間に図書サービス・カウンターに行き返却と貸出しを受けた。そこに細君から電話が入り、「義妹情報に依れば、そのビルに入っている家電量販店で流行り病が出たようだ。フラフラしていないでさっさと帰って来なさい」と言ってきた。

館内は別にいつも通りで緊張感もなく電気屋も普通に商売をしていたが、流行り病もいよいよ日常の脅威になってきたのだろうか。

ポンパドールで餡バターロールを買って薬局に戻り、薬を頂いて帰宅した。

本日は四千九百歩で階段は2回でした。往きはバスに乗ってしまった。

夕方、細君に呼ばれ貴景勝対志摩の海の相撲を観戦した。ついでにお月様を愛でた。

顔本の広告に『ラブ・探偵事務所』と云うのが現れる。三万九千円で浮気・不倫の動かぬ証拠写真を撮ってくれるそうだ。浮気が男性で、不倫は女性の場合と言葉が使い分けているのか?

秘め事は我に重しや豆名月(小川晴子)

それはそれとして人間は浮気不倫をする生き物だということを体の構造上、具体的には鬼頭の鰓の機能で証明した一文を思い出した。

「最後のオスのマナー - 竹内久美子」中公文庫 楽しむマナー から

《 昆虫のオスの交尾は、早い者勝ちならぬ、遅い者勝ちだ。

メスはオスと交尾するたびに精子(たいていは精包と呼ばれるカプセルに入っている)をため込んでいく。産卵の際には、最後に受け取った精包を優先して受精させ、産む。

よって遅い者の方が断然有利になるのである。

そうするとオスとしては、いかにして彼女の最後のオスになるかが問題だ。どうしたら最後になれるのだろう。

カワトンボの一種では、ペニスの先に返しがついていて前に交尾したオスの精包を掻き出してから自分の分を注入する。これだと必ずしも最後にはならないが、少しでも最後に近づくことはできる。

実を言うと、人間の男のペニスの先に返しがあるのも同じ理由からだ。射精の前に何十回、何百回とスラストする(こする)のは、射精に至るためというよりは前に射精した男の精子を掻き出すためなのである。》

禁断の実のほしき夜蛇の夢(井上ゆたか)

やはり、三擦り半では男じゃない!

願い事-叶えてください。苦しまずに一瞬でというのが願いです。つまり、ポックリです。終った身ですからその“瞬間”は今でも構わないのです。

浮気者で思い出したました。マニラにいたころ、あちらでは浮気者のことを確かパロパロ(蝶々)と言っていました。風情がありますね。

乱心のごとき真夏の蝶を見よ(阿波野青畝)

East-End Events Nov.20

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East-End Events Nov.20

 

Katsushika Philharmonic Strings perform at a public bath

 

Bathing house concert is held at Fujino yu public bath on Sunday at 1300hrs for one hour. The performers and audiences are supposed to be dressed in.

Only for Katsushika city residents

http://www.city.katsushika.lg.jp/event/1000107/1024758.html

2/2「俳句になぜ季語を詠み込むか - 小澤實」ベスト・エッセイ2006から

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2/2「俳句になぜ季語を詠み込むか - 小澤實」ベスト・エッセイ2006から

『連理秘抄』において良基は、連歌の会席にふさわしい時と場所とについて、考えている。「一座と張行せんと思はば、まづ時分を選び、眺望を尋ぬべし」。連歌の会を開こうとしたら、まず、いい時期を選び、いい眺めの場所を探すのがたいせつと書いている。その時期に関しては「雪月の時、花木の砌[みぎり]、時にしたがひて変はる姿を見れば、心の内に動き言葉も外にあらはるる也」と述べられている。雪や月、花が美しい時、刻々と変化していく姿を見れば句作の興も動くというわけだ。
ここで選ばれている「雪月」と「花木」は白楽天の詩句に由来する「殷協律に寄す」という『白氏文集』所蔵の旧友を思う詩の一部「雪月花の時最も君を憶ふ」に拠る。「君」とは、旧友であり、遠くに去ってしまった殷協律のことであった。雪や月や花が美しい時、今は会うことのできない友を懐かしみ詠った白楽天の詩、友と会えない嘆きを風景に託すとともに、美しい景を今、友と共有できたなら、という仮定の幸福をも内包している。『和漢朗詠集』にも引用されたこの詩の中の季節のことばと友愛との関わり方こそが、詩歌の世界に大きな影響を与えているのである。
あしづつのうす雪こほるみがはかな 心敬
たとえば、この連歌の発句は汀の薄雪が凍っていくところを詠んでいる。「あしづつの」は「葦の茎のなかの薄皮」、「うすし」を引き出す枕詞のように用いられる。繊細な雪の景を友人とともに見られた幸福を確かめているのだ。いつの日か会えなくなった際に、この日のことを思い出すだろうということまでも感じさせているようにも思う。連歌は百韻形式がふつうである。参加者の心が友愛で結ばれなければ、一巻百句もの長丁場を巻きおおすことなどできない。連衆のこころをひとつに束ねる役割をももちつつ、季語は必ず発句に詠み込まれるになったのではないか。
芭蕉もこう言う。「雪月花の事のみ云たる句にても挨拶の心也」。『三冊子』に記録さるている。単に季節のことだけを詠んだ詩であっても、友人への挨拶の句になりうるということだ。雪月花だけではない。すべての季語を用いたとに成り立つうるものであるとぼくは思う。たとえば先に引用した「古池や蛙飛こむ水の音」にしても、鳴き声が賞されてきた蛙の飛こむ音を一人聞きとり得たことを誇っているのではなあ、聞きとり得たことを友とともに楽しんでいる、蛙の水音を友との間に置いて微笑んでいると、ぼくは読む。『葛の松原』には其角がこの句の上五に「山吹や」を提案したという話題が記録されている。実際に多くの連衆と共につくった句であったのだ。「俳諧」は孤独な詩ではなかった。

現代のぼくらも日常の挨拶や手紙の書き出しなどにおいて、寒暖を始めとして季節のことに触れる。向き合う相手とこころを通わせようとしたとき、季節のことを持ち出すということは現代の日常生活においても生きている。雪月花のこころは生きているということになるのではないか。連歌俳諧から現代の俳句まで、さまざまに形を変えてきたが、いつでも季語は詩の中にありつづけたのである。
悼 山本健吉先生
雪月花わけても花のえにしこそ  飯田龍太
季節は自然そのものである。「雛祭」「祭」などが人間が主体に見える季語もあるが、これらも、季節が移り変わってその日が来なければはじまらない。詩は人間のわざであるが、季語によってそこに自然の力が、息吹が、吹き込まれるのだ。連歌俳諧の発端である発句は生き生きとした命を持つものでなければならない。そのために籠められている命こそが、季語なのではないか。現代においてもそれは変らない。
少年の見遣るは少女鳥雲に 中村草田男
「少年の見遣るは少女」だけでは単なることばの断片でしかない。そこに、春になって北へ帰る渡り鳥が雲に入るという季語、「鳥雲に」が加わると、内気な少年の少女への思いと、近づいている別れまで感じさせる。まさに句に命を与えるものとして生きているのだ。
俳句における季語には本歌取のはたらきがあるということも言われている。これも短い詩、俳句を生かすものとして重要である。季語を用いるということは、その季語を用いた和歌、連歌俳諧、俳句の作品すべてを引用することだろう。たとえば、今「鳥雲に」の季語を使って俳句を作ったとすると、先の草田男の句をはじめさまざまな作品を引用したことになるというわけだ。句を作るということは、季語を通じて、さまざまな時代の作者と交流を持つことになる。季語の持つ連想の広がりが短い俳句という形式を生かすと言い換えることもできよう。
ぼくなりになぜ俳句に「季語」を詠み込むのか、考えてみた。果たして正しい答に近づいているのであろうか。ぼくにとって季語の魅力と謎は深まるばかりである。

(巻二十七)噴水やまこと短き昼休(枝澤聖文)

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(巻二十七)噴水やまこと短き昼休(枝澤聖文)

11月19日木曜日

本日も好天なり、でありました。洗濯と排水口の掃除を致した。

散歩:

高校コースで三千八百歩階段は2回でした。

老銀杏散ずる快を貪れる(相生垣瓜人)

読書:

『 「びっくり箱 - 荒川洋治」忘れられる過去 から』

をコチ読しているが、文壇盛衰記のような考察を面白く読んだ。

《忘れられることにも、残ることにも理由があるだろう。日本を例にとって、そのあたりを見つめてみたい。どうして消えるのか、忘れられるのか。

①生前文壇で勢力をもちすぎ、没後急速に敬遠される。→佐藤春夫横光利一(ただし近年は再評価のきざし)など。

②その生き方や文学がいまひとつ明確ではなかった。あるいは徹底しなかった→有島武郎など。ちなみに佐藤春夫はここにも、はいるかも。

③国民的人気を誇ったが、芝居・映画化でイメージが固定。→山本有三船橋聖一、火野葦平尾崎士郎壷井栄石川達三など。映画を見れば済むので、読者はその人の文章を読まなくなるのである。特に映画は文学にとって危険なものだ。

④社会の変化に合わなくなった。→宮本百合子平林たい子野間宏高橋和巳など。荒俣宏の『プロレタリア文学はものすごい』(平凡社新書・二〇〇〇)を読むと、小林多喜二平林たい子は、あるいは岩藤雪夫などはこれから読まれるべき人なのかとも思う。

⑤国際的な作家として名声をかちえたあと、筆がゆるんだ→安部公房

⑥「時代」を次々に突き抜けるほどの、強い個性や魅力がなかった。

この⑥のケースがいちばん一般的であるように思う。次に来る「同種・同傾向の作家」の文学世界に「吸収」されて印象を弱めていくのだ。

西欧風の青春文学で一世を風靡した堀辰雄は、戦後日本の「新風俗」を下敷きにした石坂洋次郎の作品世界に「のまれて」しまう。ところが石坂洋次郎も、石原慎太郎五木寛之などにそのあとのまれてしまう。

時代小説では、山岡荘八吉川英治大佛次郎がより繊細な「大衆性」をひめた山本周五郎にのまれて消えていく。

サラリーマン小説では源氏鶏太がいっとき永遠の生命をもつかと思われたが、新しいサラリーマン像を描く山口瞳に、さらに山口瞳は人生哲学的なひろがりをもつ城山三郎に、とってかわられる。歴史物の井上靖の人気はいまは、いっそう明確で柔軟性のある歴史観をもつ司馬遼太郎に、あるいは「文章」をもつ、吉村昭に吸収されているようす。》

死人に口無しと言うところもあるが、いずれにしても文豪として世に名を残すのは大変だ。

木枯の吹き残したる星座かな(七井二郎)

なぜ題が『びっくり箱』かは文末で解かれて御座いました。コチコチ終わり次第ご紹介いたしたい。

食事:

蓮根の炒め物を作ってくれた。とても美味い!食感が嬉しい!ちなみに他の皿は真鯛のポアレ、昨晩の残り物の“牛”肉豆腐と茹でインゲンである。真鯛のポアレと称するものが本当にポアレなのか私には判らない。まだ息子が付き合ってくれていたころ三人で日比谷のペニンシュラのラウンジでランチをしたことがあり、そこの選べるセットの一つが真鯛のポアレで、皆んでそれを頂いた。それ以来我が家ではちょっと手を掛けて真鯛を焼いたものを真鯛のポアレと呼んでいる。ペニンシュラ真鯛のポアレをもう一度食べてみたいとは思わないが、蓮根の炒め物は旨かったのでまた作って貰いたい。

匙なげしやうにも見えて枯蓮田(能村研三)

ベランダから四日月とその真上にある木星を見た。

願い事-叶えてください。生きていたことの全ては消えて、それでおしまい。

この世には何も残さず障子貼る(須賀ゆかり)

1/2「俳句になぜ季語を詠み込むか - 小澤實」ベスト・エッセイ2006から

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1/2「俳句になぜ季語を詠み込むか - 小澤實」ベスト・エッセイ2006から

短歌は俵万智以降、口語化が進み、現代のことばを用いた現代の詩という傾向を強めている。それに対して、俳句はあいもかわらず文語を捨てようとしない。文語の中の文語である「切字」も、句作における大きな縛りである「季語」もそのまま持ちつづけている。時代錯誤の詩でありつづけようとしている。不思議なことに、現代の俳人は、なぜ「季語」を詠み込むかということをあまり考えようとはしない。かつて、新興俳句な前衛俳句が盛んであったころ、無季俳句が多く作られた、それが有季の俳句に緊張感を与えたということがあった。しかし、前衛対伝統という激しい対立が失われてしまった現在、緊張も失われてしまっている。「俳句は季語を入れるべきものである。季語を入れないものは俳句とは言えない。それがルールである」とだけ考えて思考停止してしまっていることか多いのではないか。
ここであらためて、そのルールがどうして生まれたのか、そして、何ゆえに大切にされてきたのかを考えてみたい。それは「俳句とは何か」「詩とは何か」という問いに近づくことでもある。
まず、「俳句は季語を入れるべきもの」と言い出したのは誰か、ということから考えてみたい。そのためには「俳句」の源を訪ねてみる必要がある。「俳句」ということばから第一に連想するのは子規、虚子といった近代の俳人の句である。
いくたびも雪の深さを尋ねけり 子規
遠山に日の当りたる枯野かな 虚子
近代現代の俳句は子規が祖とされているが、子規がすべてを作りあげたわけではない。彼は江戸時代の蕪村らの「俳諧」から先頭の発句だけを単独で取り出して、「俳句」と呼ぶことにした。だから、それには「俳諧の発句」という原形があった。
古池や蛙飛こむ水の音 芭蕉
牡丹散つてうちかさなりぬ二三片 蕪村
芭蕉、蕪村の俳句とよく言われるが、それは誤用。江戸のころには「俳句」ということばはふつう用いられなかった。「発句」である。俳諧の何句か続けられるその先頭の句であった。それにも原形がある。連歌の発句である。俳諧連歌を漢語、俗語も使えるように変化させたものであった。その元となる連歌という形式が整えられていったのは、鎌倉・室町期。俳句を考える際において、その原形に当る連歌の発句は大切なものである。
八月十五日夜に
たぐひなき名をもち月のこよひかな 良基
仲秋の名月を讃えている連歌の発句。「名を持ち」と「望月」とが掛詞になっている。この単純さは心地よい。この句の作者、良基の連歌論『連理秘抄』(貞和五(一三四九)年)には発句についての記述がある。そこに「又発句に時節の景物そむたるは返々口惜しき事也」ということばが見えている。「時節の景物」とは「その時節のものとして詩歌に詠まれて珍重されてきた自然の風物」である。この後に「正月には余寒 残雪 梅 鶯」などの代表的な季語が季寄せとして並べられている部分がある。これらが「時節の景物」の例となるのである。つまりはその時節の季語を詠み込まないのは残念であると述べている。これがぼくらの俳句は季語を含むべきであるという規範のいわば原典に当るものになろう。すると、現代の俳人は七百年ほども前の約束を守って季語を使っていることになるのだ。
ちなみにこの発句についての部分には「かな・けり、常の事也」などと切字に関しての記述も見られる。発句の切字にはそのようなものが普通用いられるというのだ。切字の使用においてもまた、ぼくらは良基の開いた道の上にいることになる。

それでは、なぜ連歌師は発句に「時節の景物」季語を入れるようにしたのか、という問題に入らなければならない。