(巻二十三)行く秋や軽きもの買ふ旅土産(淡路女)

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11月9日土曜日

朝から面倒だ、面倒だを連発していたら成人女性が怒り出した。お怒りごもっともではありますが、生きているのも面倒だなあ。

麻酔を注射されて夢も見ずに横たわっている状態が好きです。あのままが死なら悪くはない。

よく眠る夢の枯野が青むまで(金子兜太)

とじ傘

散歩に出かけました。いつもと同じで親水公園を駅前まで歩きましたが、しっかりと周りを見ながら歩くと一句捻りたくなる事象が顕れて参りますな。
例えば枯れた向日葵(写真)ですが、

無惨なら枯向日葵に劣らざる(中原道夫)

という句を思い出し、自分でも

向日葵やその晩節の読み違え

などと捻ってみました。

駅前公園ではフリー・マーケットが開かれていて、リリオの前では大道芸人が人を集めていました。
天気も人々も長閑でございます。長さは求めませんが、我が晩節も長閑にあって欲しいと祈るところでございます。

煮凝や余生のかたち定まらず(川崎益太郎)

男の子が帰って来て一泊するというメールを成人女性が見落とし、心配になった男の子から夕方電話が入った。それから二人で水などの防災用品置き場にしていた男の子の部屋を片付け、布団を出したりシーツをかけたりと一騒ぎございました。
相変わらず無愛想な男の子は10時半に来着。

本

「酒を呑む場所 - 椎名誠」文春文庫 92年版ベスト・エッセイ集 から

を読みました。
軽い読み物ようですが、人生を論じています。人生って、まあそんなもんかと。


《 このあいたマンガ家の東海林さだおさんと西荻窪の呑み屋で酒呑みつつ、最近どこで呑んでいるかという話になった。西荻窪のその店は東海林さんとぼくの対談のために出版社がしつらえてくれた店で、スタートからなんだかギンギンに力[りき]の入った懐石料理ふうのものが登場し、二人ともいささかぐったりしていたのだ。で、いつものなじみの店がなつかしくなって、
「近頃どんなところで呑んでますか?」
とぼくが聞いたわけである。東海林さんは、
「そうだねえ、新宿に二、三店、西荻に一店、あとはときたま銀座のひらひらドレスのお姉ちゃんのいる店に行くぐらいだねぇ。もう新しい店を捜す気力もないし、このあとの人生はこの四、五店でやりくりしていくことになるようだわ。そうして死んでくんだわ」
なんて言った。ぼくの状態とあまりにも似ているのでそれもおかしかったけれど、最後にいう「この四、五店で死んでくんだ」というのが妙にリアルでやるせなくてそしてひっそりおかしかった。
そうか、本当に考えてみると自分もあの三、四店の酒の場をうろうろして、それで結局いつか死んでくんだ - の人生なのかもしれないな、と思った。 》

馴染みの飲み屋があるのが大人だと思い、そんな風なことをしたこともありますが、最近は机でラジオを聴きながら飲んでます。
結局、そんな人生だったんですよ。

逝くまでを俳句と少しの冷酒と(寺嶋龍)