1/2「死を憎まば、生を愛すべし(吉田兼好の死生観とその普遍性) - 中野孝次」文春文庫 清貧の思想 から

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1/2「死を憎まば、生を愛すべし(吉田兼好の死生観とその普遍性) - 中野孝次」文春文庫 清貧の思想 から

枕草子』と『徒然草』とは江戸期を通じて文人の最も愛好した古典であったらしい。灰屋?益の『にぎはひ草』が『徒然草』を意識していることは「つれっれ草によせて、にぎはひ草と名づけ」とあることからも明らかだし、蕪村にも『徒然草』のパロディというべき短文があり、素人考えで大雑把な言い方をすれば、江戸期に夥[おびただ]しく書かれた随筆集はほとんどが少なくともどこかにそれを意識していると言っていいのではないか。わけても『徒然草』は、たんに文章上の規範であったばかりでなく、文人の心意気を養う上で必須の古典と見なされていたように思われる。
吉田兼好(弘安六?~観応三以後/一二八三?~一三五二以後)というのは非常に複雑な人で一筋縄ではわりきれない。『徒然草』はあるところでは趣味を語り、世相を語り、道念を説き、いろいろな面を具えていて一つの決った読み方は出来ない。その観察が多面的で、しかも鋭く、表現の力強いところが、モンテーニュの『エッセイ』と同じように、日本で古来これを随筆の古典にして来たのだ。が、やはりその中で最も人に働きかけたのは、

若きにもよらず、強きにもよらず、思ひ懸けぬは死期[しご]なり。(第百三十七段)

という、死すべきものとしての人間の自覚を説く段々であったろうと思われる。メメント・モリ(死を忘れるな)の心掛けをこのように明確な思想として説いた人物は、外にいなかったのだから。

死期は序[ついで]を待たず。死は、前よりしも来らず、かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。

こんなふうに短い文章で、ノミで穿[うが]つように鋭く明快に、死というものが思いもかけず襲いかかることを説く。この文章の力は並大抵のものではない。よほどふだんから深く死の来襲について思索を深めていた人の認識であって、『徒然草』の魅力は、生をそんなふうにいつ来るか知れぬ死の上に浮ぶ危うい時と認識し、しかしだからと言って『一言芳談抄』の坊さんたちのように、「とく死なばや」と厭離穢土[おんりえど]をすすめるのではなく、そういう生であるからこそ、

されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらをや(第九十三段)

生きてある今のありがたさの自覚へと人を誘うところにある。たった一行の短文だが、この言葉は一度知ったら忘れられぬ力強さに満ちている。
「沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し」と、死の訪れの予期しがたさ、無気味さを説く文章の鮮やかな切れ味があるからこそ、一読して「死を憎まば、生を愛すべし」と生へと目を向けさせる言葉が力強くひびくのである。生とはまことに危ういものであると説く人はいままでもいたけれども、それをこんなふうに生の喜びの認識へと鮮やかに転換させた人は誰もいなかった。そこに『徒然草』の人生論、死生論の新しさがある。
 
この段は『徒然草』の急所なのでもう一度その部分全体を掲げてみよう。江戸の文人たちを打ったのもこんなところではなかったかと思うから。

されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。愚かなる人、この楽しみを忘れて、いたづがはしく外の楽しびを求め、この財[たから]を忘れて、危[あやふ]く他の財を貪るには、志[こころざし]満つ事なし。生ける間生[しやう]を楽しまずして、死に臨みて死を恐れば、この理[ことわり]あるべからず。人皆生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり。死を恐れざるにはあらず、死の近き事を忘るるなり。もしまた、生死[しようじ]の相にあづからずといはば、実[まこと]の理を得たりといふべし。(九十三段)

自分が生きて今存在しているという、これに勝る喜びがあろうか。死を憎むなら、その喜びをこそ日々確認し、生をたのしむべきである。なのに愚かなる人びとはこの人間の最高のたのしみをたのしまず、この宝を忘れて、財産だの名声だのというはかない宝ばかりを求めつづけているから、心が満ち足りるということがないのだ。生きているあいだに生をたのしまないでいて、いざ死に際して死を恐れるのは道理に合わぬことではないか。人がみなこのように本当に生きてある今をたのしまないのは、死を恐れないからである。いや、死を恐れないのではない、死の近いことを忘れているからに外ならない。
人間にとっての最高の宝は財産でも名声でもなく地位でもなく、死の免れがたいことを日々自覚して、生きて今あることを楽しむことだけだと、人を生へと励ますこの認識は、離俗を志す江戸の文人たちにとってどれほどかの鼓舞となったかしれないと思うのだ。かれらはもとより名利の世界を離脱しようと志す身である。現世の生の貧しさは甘受する覚悟である。利害得失の浮世とはまったく違う風雅の別乾坤[べつけんこん]に最高の生き甲斐を見出してもいる。そういうかれらの、世間一般から見れば脱落者とも見えかねない生き方にたいし、兼好のこの言葉はまさに理論的支柱といっていいような励ましを与えたことだろうと、わたしは想像する。
ではどういう生き方が「存命の喜び、日々に楽し」む生かと、兼好はそういう生き方をも具体的に描いている。
 
つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるる方なく、ただひとりあるのみこそよけれ。
世に従へば、心、外の塵に奪はれて惑ひ易く、人に交れば、言葉、よその聞きに随[したが]ひて、さながら、心にあらず。人に戯れ、物を争ひ、一度[ひとたび]は争ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。その事、定まれる事なし。分別みだりに起りて、得失止む時なし。惑ひの上に酔へり。酔の中[うち]に夢をなす。走りて急がはしく、ほれて忘れたる事、人皆かくの如し。
未だ、まことの道を知らずとも、縁を離れて身を閑[しず]かにし、事にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。「生活[しやうくわつ]・人事[にんじ]・伎能[ぎのう]・学問等の諸縁を止めよ」とこそ、摩訶止観[まかしくわん]にも侍[はんべ]れ。

スケジュール表に予定をびっしり書きこんで、絶えず忙しく動き回っていないと生きた気がしないような人の気が知れない。わたしに言わせれば、人間は他のことに心を紛らわされず、己れひとり居て心を見つめているのがいいのだ。
世間並に暮そうとすれば、心は賭けごととか商談とか出世とか色ごととか、そんな外の塵に自分の心も奪われて惑いやすいし、人との交際を重視すれば、テレビだの新聞だの意見や情報に引き回され、まるで自分が自分でなくなってしまう。たのしく付合っていたかと思えばすぐに喧嘩をし、恨んだり悦んだりして切りがなく、心の平安なぞ望むべくもない。ああするばとか、こうすればと考えて利害の関心から抜け出せない。まるで惑いの上に酔い、惑いの中に夢を見ているようなものだ。だが、世間を忙[せ]わしく走り回っている人を見ると、事に呆[ほう]けて肝腎なことを忘れている点では人みな同じである。
だから、まだ真の道は何かを知らずとも、仕事、人間関係、世間体などの諸縁を断ち切って心を安らかにしておくのこそ、生を楽しむ態度だと言うべきである。摩訶止観にも、生活、人事、伎能、学問等の諸縁をやめよ、とあるではないか。
兼好はこのように、世間のままに動いていては心の充実は得られない、世間並の生から距離をとって己れの心をしかと見つめよ、それこそ存命の喜びを楽しむことだ、と言うのである。『徒然草』全巻について、この態度がいわばライトモチーフとして鳴っている。