2/2「ドクトル、閑中忙あり - 北杜夫」中公文庫 どくとるマンボウ航海記 から

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2/2「ドクトル、閑中忙あり - 北杜夫」中公文庫 どくとるマンボウ航海記 から

私はそれでも日に平均四・六名、延べ七六〇人の患者に投薬したり注射したりしている。一人も患者かこない日もあれば二十名以上の日もあった。もっとも患者とはとても言えず、臼でひいても死にそうもない身体で飯を六杯ずつ食べ、更にもっと食べようというコンタンで腹の薬を貰いにくる者もある。こういうのは仕方ないから治療簿に「消化不良」と記入する。
チーフ・エンジニアが綿をマッチ棒の先につけて耳をぼじくっていたら、綿だけ耳の底に残ってしまった。反射鏡をつけて覗くと、奥も奥、一番奥の鼓膜のところにぴったりはりついている。そいつを取ろうとするといかにも痛そうでなかなかとれない。私もこれには弱ってしまい、そこに二人ばかり注射にきたので、あとでゆっくりやろうといったん帰したところ、彼はいかなる魔術を用いたのか自分で突っつきだしてしまった。「ドクター、あれ、とれましたよ」と嬉しそうに言うが、「外聴道異物」などと書くのもバカバカしいから私は治療簿にこう記入した。「天下の奇病。使用薬品、なし。処置、魔術」
サード・エンジニアが歯ぐきをはらして唸りながらやってきた。熱も三十九度以上ある。これは歯の根っこに膿がたまって圧迫するので大変に痛いものだが、歯の底を破って膿を出すなんて芸当はできねし道具もない。道具があったとて、私は頭蓋骨に穴をあけて脳の一部をきる手術ならやるが、歯医者のような野蛮極まりない真似はとてもできぬ。ペニシリンを注射しても歯の病菌は嫌気性菌が多いから効果はないのである。そのうち熱は高まるし唸り声も高まるので、とうとう歯ぐきを横から切って膿を出してしまうことにした。最初ちょっぴり切ったらすぐ傷口がふさがって再び腫れてきたので、次ぎには麻酔剤をたっぷり注射しておいて十文字切開をした。彼は大粒の涙をこぼしたが、私とて死ぬる思いだった。ヘイツィ・エイビブと呼ばれるホッテントットの神の加護により、サード・エンジニアは死なないですんだ。
たとえ死んでも病気になんぞ決してかからず医務室に絶対顔を見せない人もあるし、もうヤタラと風邪をひいたり腹をこわしたりあちこちすりむいたりする人がある。炊事係の一人がそれで、指をニンジンと間違えて切ってしまう、煮たった油をこぼして足の甲全体におそろしくでっかい水泡を作ってしまうで、三日とあけずに私のところにやってくる。はじめ私は、船は揺れるのだからなるほど炊事する人にケガが多いのは無理もないと思っていたが、ほかの炊事員には別段のことはなく、どうやらそれは彼の天性であるらしかった。
船員には神経の太い人が多いと人は思うだろうが、全部が全部そうではなく、不眠症なんかは相当に多い。乗船したばかりのとき、私はこんな噪音と振動の中で果たして眠れるものかと危懼したものだが、人間の適応性というのは恐ろしいもので、しまいには港に着いてエンジンがとまりあたりがシーンとしてしまうとかえって寝つかれなくなった。これは他の人も同様らしく、ジェノヴァで電灯も消し完全に動力をとめてしまったあと、不眠症患者が続出した。船の人たちは不規則な当直[ワッチ]があり、たとえば十二時-四時の場合は暁方に寝こみ、間もなく朝食となり、ぐずぐずしていると次ぎのワッチになるという具合で、寝つきがわるいことは陸の人たちより重大な結果を生む。いったん眠れないと意識しはじめると蟻地獄にでもおちこんだようなものだ。ネギを置いたり足を洗うくらいのことで眠れる人は幸福である。フランクリンは冷たいベッドが好きで、四つのベッドを並べておき、一つのベッドが暖まると跳ねおきて次ぎに移るというヤッカイなことをしていたそうだが、何をしたとて眠れないときはやっぱり眠れない。
一人機関部員で、奥さんが病気になったと手紙がきたまま、次ぎの港にも次ぎの港にもその後の報せがなく、すっかり落着きを失って強度の不眠を呈した者があった。長い航海にでて手紙を待つ気持は特別のもので、私のようにアマノジャクで初めは手紙なんぞと思っている者でも、港港と日が経つにつれ、やはり手紙がこぬとワメキちらし、来ればたわいなくふやけてしまう有様だから、船員の家族の人は充分に気をつけなければなるまい。その男は一服の薬ではとても眠れず与えた薬を一ぺんに飲んでしまったりするので、ついに私は彼のもっとも怖れている注射をすると言って脅迫したりしなければならなかった。
地中海を出るとき局長が言った。「これから南に行くと十何隻日本の漁船がいて、大抵ドクターは乗っていないから、もし医療通信をしてきたら宜しく頼みます」
冗談じゃない、そんなに沢山面倒を見きれやしないと私は思ったが、果然何日がたって局長がぎっしり仮名の書きこまれた電報用紙をもってきた。スワいかなる
重病かと私は青くなり、慌てて読みくだすと要旨は次ぎのごときものであった。
「ボウデミミヲツツイテイタラ、ウシロカラヒトニオドカサレテケガシテシマツタ。ペニシリン三〇マンタンイウツタガカノウシテシマツタ。イカガシタラヨイカ
これには私もギャフンとなったが、ペニシリンを六〇万単位にふやせとかその他ありきたりの処置法を無電で打ってやると、しばらくしてまたその船から電報がきた。
「コノマエノハオカゲデナオリマシタ、ドクターアリガトウ」という始まりで、今度は誰かが神経痛になったという。この船からは都合三べん通信があり、いま思いだしてみても私はこの第二十八○○丸とかにふしぎな懐かしさと親しみを覚える。
だが何といっても、特記すべき事故は司厨長の場合であろう。このときはサード・オフィサーがとびこんでくるなり「ドクター、カンファー」と怒鳴ったのだが、事態はこうである。司厨長は野菜倉庫[ヴェジタブル・チェンバー]にはいってゴソゴソやっていたところ、開けてあった扉を誰かがうっかり閉めてしまい、もう叫べども叩けども外に聞えず、まさに窒息せんとしたところを救出されたのであった。