(巻二十四)さりげなくひとと競へり潮干狩(黒坂紫陽子)

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11月24日日曜日

成人女性

朝方まで雨が残りましたが、細君は開店時間に合わせて生協へ出かけて行きました。
以前は買い物のお供をしたのですが、最近は留守番を仰せつかることが多い。理由は二人で出掛けるとなれば短時間でも火の用心、施錠ほか手間がかかる。一人残しておけば手間が省ける。そういうことだそうだ。

おじいさん

あたしは寒くてパッチと長袖下着を着ることにしました。更に同じものを重ねて着るという手段はありますが、 これで一応寒さ対策総動員です。

気構への一歩遅れし寒さ急(蔭山一舟)

とじ傘

午後は、細君の買い物の買い残しを買いに出かけました。あたしにも買えるものとは、パン、納豆、バター、牛乳といった定形品です。
家に籠っていたのは二日だけですが、それでも歩くペースが落ちます。毎日毎日歩かないと動けなくなりますなあ!
健康だから働くのではなく、働くから健康でいられるのだと細君なども申しますが、当たっているのでしょう。しかし、あまり働きたくありませんがね。

万歩計すこし怠ける神の留守(高橋青矢)

とじ傘

この二日間の時雨でさくらは随分と葉を落とし裸木に近くなっているのも数本ございました。季節は変わっていきますなあ!
人生にもその終焉を認識させる一日が来るのでしょうなあ?

徒[あだ]し世や桜落葉の裏表(中村欽一)

本

「解説(うらおもて人生録・色川武大) - 西部邁新潮文庫 うらおもて人生録 から

を読みました。
色川氏の処世訓に西部氏が解説を書くという取り合わせに注目いたした。

《 四分類ぐらいで人間を区別けするかぎり、彼我の人生の型は同じカテゴリーに属するのだと僭越ながらいいつのりたい。要すれば、本格と擬似の差はあるものの、非行者である点に変わりはなさそうなのである。》

と、先ずは同類という立ち位置に身をおいての解説のようです。
特に難解な解説もなく進むのですが、判らないのは最後の最後の以下のところです。

《 私のように、おそらく愚しくも、自分で子供を作ってしまったような人間は、著者のように劣等生の前で平静ではおれない。世間に受け入れられて生き永らえることそれじたいが幸運であり、そして博打の論理からして、幸運の次に不運がくるのであってみれば、子供らの不運は己れの責任ということになる。嗟乎[ああ]、やんぬるかな。》

冬ごもり厠の壁に処世訓(中神洋子)