1/2「ドクトル、閑中忙あり - 北杜夫」中公文庫 どくとるマンボウ航海記 から

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1/2「ドクトル、閑中忙あり - 北杜夫」中公文庫 どくとるマンボウ航海記 から

(前略)

先の航海で照洋丸はタヒチからの帰途一人の病人を積みこんだ。それは漁船の乗組員でタヒチの病院にはいっていたのだが、少しも良くならず、本人がどうしても日本へ連れ帰ってくれと泣いて頼むので乗船させ、そのときはドクターが乗っていなかったので万能のセカンド・オフィサーが注射をつづけてやったが、赤道を越える頃とうとう息をひきとってしまった。遺骸は日本に持ち帰るよう冷凍室に安置した。「ところが、さあそれから急にコワくなって、誰一人その部屋に近寄れなくなってしまったんですよ」とチーフ・エンジニアが話してくれたが、あまり彼が怖そうな顔をするので私は思わず失笑した。しかしこれは笑う方が間違いなのであって、死んだ方がマシな人間がいくらいたとて、死そのものはやはり虔[つつま]しい根元的なあるものであり、その前では怖れおののくのが本当である。
医学教育はまずフォルマリン漬けの死体を切りきざむことから始まり、そんなものは平気にならねばならないのだが、こうして医者は次第に愚かになり、生命と共に死をも尊ぶべきことを忘れてしまう。なによりも人間について自分が相当の知恵をわきまえているように錯覚するので救いがたい。
それでも有能な医者は沢山いる。たとえば大学病院に長いこといる医者は次第に専門化され、専門のこととなると嫌でも博学になるが、博学すぎて注射をさせれば恐ろしく下手だし、平凡な病気のことは忘れてしまう。へんな頭痛のある患者がくれば、さてこそと眼底を調べ、脳波をとり、空気造影法をほどこして頭部レントゲン写真をとり、家族はさすが大学だと感服し、患者はおどろいて益々頭が痛くなってしまうが、主治医は実は自分ではちっとも手を下さないのである。鼻がつまれば耳鼻科を呼び、ニキビができればすぐ皮膚科を呼ぶ癖がついているから、いよいよとなればボウズまで呼びかねない。それでも彼らは有能な専門家たちだから、寄ってたかって治る病気は治してしまう。治らなくても診断だけはつけてくれる。むずかしい病気だったら大学に行った方がいい。
ところが船医となると滅多にない病気に診断をくだす技倆は要しないが、ざらにある病気はなんだって治療しなければならない。『わたしのお医者さま』という映画があったが、若い船医の乗りくんだ船で盲腸患者がでたとなると、すぐさま船大工は棺桶を作りだし、こっちでは水葬の準備を始める。映画では医者がブリジット・バルドーなんぞと見事手術に成功しメデタシメデタシとなるが、原作では次のようになっている。彼が懸命に手術の準備をし本を読みかえしてから患者を見にゆくと、患者は魚とジャガイモのあげたのを食べビールを飲んでいる。
「一体どうしたんだ、このざまは」と医者はどなる。「何も食べてはいけないと言っておいた筈じゃないか」
「すみません、ドクター。でもひどく気分が良くなったもんで」
「良くなっただって?良くなったかどうかを決めるのは僕の役目じゃないか。君はただ自分で良くなったと思いこんでるだけなんだ。君はたしかに盲腸炎なんだよ」
「一つだけお聞きしてえんですが」相手はすっかり恐縮して言う。「盲腸を二度切りとるなんてことはあるもんなんでごぜえますか?」
「二度?それはどういう意味だ?」
「へえ、初めてのときはバーケンヘッドで切ったんですが。あっしが六つのときで.....」
宇宙精神医学研究室主任の私に、これ以上のことを期待したとてそもそも無理というものであろう。